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もんじゆ
しかし
此説明は
功を
奏せなかつた。
子供には
昔の
寒山が
文殊であつたのがわからぬと
同じく、
今の
宮崎さんがメツシアスであるのがわからなかつた。
最も
窮したのは、
寒山が
文殊で、
拾得は
普賢だと
云つたために、
文殊だの
普賢だのの
事を
問はれ、それをどうかかうか
答へると、
又その
文殊が
寒山で
國清寺に
拾得と
申すものがをります。
實は
普賢でございます。それから
寺の
西の
方に、
寒巖と
云ふ
石窟があつて、そこに
寒山と
申すものがをります。
實は
文殊でございます。
心の
中では、そんな
事をしてゐる
寒山、
拾得が
文殊、
普賢なら、
虎に
騎つた
豐干はなんだらうなどと、
田舍者が
芝居を
見て、どの
役がどの
俳優かと
思ひ
惑ふ
時のやうな
氣分になつてゐるのである。
山霊の
祟にやあらん
忽ち暴風雨を
起して
進むを得ざらしむ、
唯口碑の伝ふる所に
拠れは、百二十年以前に於て
利根水源たる
文珠菩薩の
乳頭より
混々として出で
来り
鎭め給へ
篤と御相談の手段も御座候ふべし
古語にも
遠き
慮かりなきときは近き
憂ひありと申すは
正しく是なるべし
然ども三人
寄時は
文珠の
智慧此平左衞門左仲御
附申し
居中は御安心
成れ能々御思案候べしと種々相談しける
中良半日餘りお島が雪の中に
縛められ
身神ともに
冷凍え
人心地もなき
體を
只管写真機械を
携へ来らざりしを
憾むのみ、
愈溯れば
愈奇にして山石皆凡ならず、右側の
奇峰を
超へて
俯視すれば、
豈図らんや
渓間の一丘上
文珠菩薩の
危坐せるあり
三人
寄ど
文珠さへ授けぬ
奸智の
智慧袋はたいた
底の
破れかぶれ
爲術盡し
荒仕事娘に
逢すと悦ばせて
誘引出すは斯々と忽ち
極る惡計に
獻つ
酬れつ飮みながらとは云ふものゝ
此の
幕は餘り
感心せぬ事成れば
姉御と己と
鬮にせんと
紙縷捻つて差出せばお定は引て
莞爾笑ひ
矢張兄貴が當り鬮と云はれて三次は
天窓を