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もんじゆ
しかし
此説明は
功を
奏せなかつた。
子供には
昔の
寒山が
文殊であつたのがわからぬと
同じく、
今の
宮崎さんがメツシアスであるのがわからなかつた。
最も
窮したのは、
寒山が
文殊で、
拾得は
普賢だと
云つたために、
文殊だの
普賢だのの
事を
問はれ、それをどうかかうか
答へると、
又その
文殊が
寒山で
國清寺に
拾得と
申すものがをります。
實は
普賢でございます。それから
寺の
西の
方に、
寒巖と
云ふ
石窟があつて、そこに
寒山と
申すものがをります。
實は
文殊でございます。
心の
中では、そんな
事をしてゐる
寒山、
拾得が
文殊、
普賢なら、
虎に
騎つた
豐干はなんだらうなどと、
田舍者が
芝居を
見て、どの
役がどの
俳優かと
思ひ
惑ふ
時のやうな
氣分になつてゐるのである。
「
實はパパアも
文殊なのだが、まだ
誰も
拜みに
來ないのだよ。」