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須
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もち
ふりがな文庫
“
須
(
もち
)” の例文
國語と漢文とを調和し、雅言と俚辭とを融合せむと欲せし、放膽にして無謀なる嘗試は、今新に其得失を論ずることを
須
(
もち
)
ゐざるべし。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
今更ここに言ふを
須
(
もち
)
ゐないことではあるが、その
撓
(
たゆ
)
み易き句法、素直に自由な格調、從つてこれは今迄に
類
(
たぐひ
)
のなかつた新聲である。
新しき声
(旧字旧仮名)
/
蒲原有明
(著)
されど汝のいふごとく天の淑女の汝を動かし且つ導くあらば汝そがために我に求むれば足るなり、何ぞ
諛言
(
へつらひごと
)
をいふを
須
(
もち
)
ゐん 九一—九三
神曲:02 浄火
(旧字旧仮名)
/
アリギエリ・ダンテ
(著)
そこでこの懇親会の輪番幹事の一人たる畑が、秋水を
請待
(
しょうだい
)
して、同郷の青年を
警醒
(
けいせい
)
しようとしたのだと云うことは、問うことを
須
(
もち
)
いない。
余興
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
その薩摩が討幕の密勅を奉ずるに至りたるが如きは、これ西郷、大久保の意にして、三郎の意に非ざるやまた疑うを
須
(
もち
)
いず。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
▼ もっと見る
この語なども古調の妙味実に云うべからざるものがある。既に年老いた額田王は、この御歌を読んで深い感慨にふけったことは既に言うことを
須
(
もち
)
いない。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
五十年の人生を以て人性人情を解釈すべき唯一の舞台とする論者の誤謬は、多言を
須
(
もち
)
ひずして明白なるべし。
内部生命論
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
故に、風候水色の好適なる裡に、
細緡香餌
(
さいぴんこうじ
)
を良
竿
(
かん
)
に垂れ、理想の釣法を試むことを得ば、目的こゝに達したるなり。魚の多少と大小は、また何ぞ問ふを
須
(
もち
)
ひん。
研堂釣規
(新字旧仮名)
/
石井研堂
(著)
必ずしも取出でゝ一々何の景彼の勝といふを
須
(
もち
)
ひない、全體が一致して人に清凉感を起させるのである。
華厳滝
(旧字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
多言するを
須
(
もち
)
いず、これらの歌が曙覧ならざる人の口より
出
(
い
)
で得べきか否かを考えみよ。
曙覧の歌
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
つまり日光の方から炭とか米とかの日用品を其處に持つて行つて置くと、栗山の方から下駄や細工物の材料を持つて來て、そして人を
須
(
もち
)
ひずに物品だけで交換して行くのであつた。
日光
(旧字旧仮名)
/
田山花袋
(著)
されども今、誰に向かいて現にこの恩を謝すべき相手を見ず。これを
譬
(
たと
)
えば人生に必要なる日光、空気を得るに銭を
須
(
もち
)
いざるがごとし。その物は貴しといえども、所持の主人あらず。
学問のすすめ
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
「いいや、二股ではない、昨日は新撰組にいたが、今日は御陵組だ、昨日は昨日、今日は今日、
朝
(
あした
)
には佐幕となり、
夕
(
ゆうべ
)
には勤王となる、紛々たる軽薄、何の数うることを
須
(
もち
)
いん——」
大菩薩峠:39 京の夢おう坂の夢の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
若しわれをしも
蒐集家
(
しうしふか
)
と言はば、
張三李四
(
ちやうさんりし
)
の徒も蒐集家たるべし。然れどもわが友に
小穴一游亭
(
をあないちいうてい
)
あり。若し千古の
佳什
(
かじふ
)
を得んと欲すれば、
必
(
かならず
)
しもかの書画家の如く
叩頭百拝
(
こうとうひやくはい
)
するを
須
(
もち
)
ひず。
わが家の古玩
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
これによって吾々は、国体が私有財産制とは無関係であるということを、即ち又、国体の変革を
須
(
もち
)
いずして私有財産の一種の否認も存在し得なくはないということを、教えられたわけである。
社会時評
(新字新仮名)
/
戸坂潤
(著)
何ぞ
故
(
ことさ
)
らに新しき形を要せんと、殊に知らず、昔しの淳朴なるや、「八雲立」「難波津」の歌猶之を誦して、人をして感ぜしむるに足れり、今に至つては猶此緩慢なるものを
須
(
もち
)
ゆべけれんや。
詩人論
(新字旧仮名)
/
山路愛山
(著)
命令を
須
(
もち
)
いずして、万民信服し、10865
ファウスト
(新字新仮名)
/
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(著)
Y県出身の崇拝者。目前で大飯を食っている純一の
attribute
(
アトリビュウト
)
はこれで尽きている。多言を
須
(
もち
)
いないと思っているのである。
青年
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
汝の命ずるところよくわが心に適ひ、既にこれに從へりとなすともなほしかするの遲きを覺ゆ、汝さらに願ひを我に
闢
(
ひら
)
くを
須
(
もち
)
ゐず 七九—八一
神曲:01 地獄
(旧字旧仮名)
/
アリギエリ・ダンテ
(著)
貨
(
しろもの
)
だに善くば、その産地を問ふことを
須
(
もち
)
ゐず。友よ、善き子よ。我がためにヘブライオスの語を學べ。我も諸共に學ばんとす。たゞその學びさまを殊にせんのみ。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
富めるもの
驕
(
おご
)
る可からず、貧しきもの何ぞ自ら
愧
(
は
)
づるを
須
(
もち
)
ひん。額上の汗は天与の黄金、一粒の米は之れ一粒の玉、何ぞ金殿玉楼の人を羨まむ。唯だ
憫
(
あは
)
れむべきは食を乞ふの人。
客居偶録
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
斥
(
しりぞ
)
けて曰く「余はかかる
晩餐
(
ばんさん
)
をもってみずから足るものなり。なんぞ黄金を
須
(
もち
)
いん。余はみずから黄金を懐にするよりもこれを懐にするの敵国を征服するをもってむしろ栄光となすなり」
将来の日本:04 将来の日本
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
我等亦多言するを
須
(
もち
)
ひずと
雖
(
いえど
)
も、其の明治大正の文芸に
羅曼
(
ロマン
)
主義の大道を打開し、
艶
(
えん
)
は
巫山
(
ふざん
)
の雨意よりも濃に、壮は易水の風色よりも烈なる鏡花世界を現出したるは
啻
(
ただ
)
に一代の壮挙たるのみならず
「鏡花全集」目録開口
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
遠く史上の古人に就て之を
檢覈
(
けんかく
)
するを
須
(
もち
)
ひず、近く吾人の目睹耳聞するところの今人に就て之を考査すれば、直に明瞭なることであるが、分福の工夫十分なる人が、好運の來訪を受くること多きも
努力論
(旧字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
なんぞ必ずしも区々たる
人為
(
じんい
)
の国を
分
(
わかち
)
て人為の境界を定むることを
須
(
もち
)
いんや。いわんやその国を
分
(
わかち
)
て隣国と境界を争うにおいてをや。いわんや
隣
(
となり
)
の不幸を
顧
(
かえり
)
みずして
自
(
みず
)
から利せんとするにおいてをや。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
「清風明月一銭の買うを
須
(
もち
)
いず——と、たぶん李白の詩にあったけな、一銭のお手の中を頂くにも、人間となると浅ましい思いをするが、この良夜を無代価に恵与する天然の
贅沢
(
ぜいたく
)
はすばらしいものだ」
大菩薩峠:40 山科の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
労苦することを
須
(
もち
)
ゐず。
ファウスト
(新字新仮名)
/
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
(著)
丁度この時幕が開いたので、答うることを
須
(
もち
)
いない問のような、奥さんの詞は、どういう感情に根ざして発したものか、純一には分からずにしまった。
青年
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
ヱネチア人は今も不平を説くことを
須
(
もち
)
ゐざるなるべし。されどわが解するところのものは美妙なり。陸上宮殿の
柱像
(
カリアチデス
)
たらんは、海の女王たらんことの崇高なるには
若
(
し
)
かず。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
吾人は多言を
須
(
もち
)
ひずして知る、尤も多く
並等
(
びやうどう
)
を教ふるもの、尤も多く最多数の幸福を図るもの、尤も多くヒユーマニチーを発育するもの、尤も多く人間の運命を示すもの、即ち
国民と思想
(新字旧仮名)
/
北村透谷
(著)
爰
(
なん
)
ぞ
須
(
もち
)
ゐん 空言を用ゐるを。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
茶山が山陽を如何に観てゐたかと云ふことは、事新しく言ふことを
須
(
もち
)
ゐない。此書は既に提供せられた
許多
(
きよた
)
の証の上に、更に一の証を添へたに過ぎない。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
少しも疑ふを
須
(
もち
)
ひない。
努力論
(旧字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
果して然らば周迪成美の伯孝たることは、
復
(
また
)
疑ふことを
須
(
もち
)
ゐぬであらう。馬屋原成美、字は伯孝、初め周迪と称し、後恕庵と改め、又父祖の称玄益を襲いだ。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
それは他人あしらいにせられると思うからである。その反面には、奥さんが岡村に対して、遠慮することを
須
(
もち
)
いない程の親しさを示しているという意味がある。
青年
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
しかし他日維新史料が公にせられたなら、此問題は
復
(
また
)
秘することを
須
(
もち
)
ゐぬものとなるかも知れない。
津下四郎左衛門
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
春水との初見も、特に初見として叙出しては無い。春水も山陽も、此紀行にあつては始て出づる人物である。父は已に顕れた人物だから名字を録することを
須
(
もち
)
ゐない。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
劇通で芝居の
所作事
(
しよさごと
)
をしくんだ壽阿彌に
斯
(
かく
)
の如き滑稽のあつたことは怪むことを
須
(
もち
)
ゐない。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
是れ朝廷の威信を
繋
(
つな
)
ぐ
所以
(
ゆゑん
)
の道に非ず。皇祖天神照鑒在上。吾説の是非、
豈
(
あに
)
論ずるを
須
(
もち
)
ゐんや。吾に
左袒
(
さたん
)
する者は、
檄
(
げき
)
の至るを待ち、
叡山
(
えいざん
)
に来会せよ。共に回天の大策を
可議者也
(
ぎすべきものなり
)
。
津下四郎左衛門
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
紫の
紐
(
ひも
)
を以て
髻
(
もとどり
)
を
結
(
ゆ
)
うのが、当時の官吏の
頭飾
(
とうしょく
)
で、優が何時までその髻を
愛惜
(
あいじゃく
)
したかわからない。人はあるいは抽斎の子供が何時斬髪したかを問うことを
須
(
もち
)
いぬというかも知れない。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
想ふに授受が眞志屋と金澤氏との間に行はれた初には、
縱
(
よし
)
や實に寓公たらぬまでも、眞志屋の名前人が立てられてゐたが、後に至つては特にこれを立つることを
須
(
もち
)
ゐなかつたのではなからうか。
寿阿弥の手紙
(旧字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
須
常用漢字
中学
部首:⾴
12画
“須”を含む語句
須臾
急須
須弥壇
必須
須弥山
恵比須
須走
須勢理毘売
須田町
須原
須佐之男命
須崎
大須
須要
須彌壇
須須許理
須崎町
泥烏須如来
須叟
須川
...