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金澤
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かなざは
はい、あの
死骸は
手前の
娘が、
片附いた
男でございます。が、
都のものではございません。
若狹の
國府の
侍でございます。
名は
金澤の
武弘、
年は二十六
歳でございました。
……
次手に、おなじ
金澤の
町の
旅宿の、
料理人に
聞いたのであるが、
河蝉は
黐を
恐れない。
寧ろ
知らないといつても
可い。
と
記して、
一車の
税銀、
一ヶ
月八匁宛なりと
載せてある。
勿論、
金澤、
福井などでは、
俵藤太も、
頼光、
瀧夜叉姫も、まだ
見た
事もなかつたらう。
ところで
藝者は、
娼妓は?……をやま、
尾山と
申すは、
金澤の
古稱にして、
在方鄰國の
人達は
今も
城下に
出づる
事を、
尾山にゆくと
申すことなり。
いつぞや、
同國の
人の
許にて、
何かの
話の
時、
鉢前のバケツにあり
合せたる
雜巾をさして、
其の
人、
金澤で
何んと
言つたか
覺えてゐるかと
問ふ。
忘れたり。
柳田さんは、
旅籠のあんまに、
加賀の
金澤では
天狗の
話を
聞くし、
奧州飯野川の
町で
呼んだのは、
期せずして、
同氏が
研究さるゝ、おかみん、いたこの
亭主であつた。
金澤にて
錢百と
云ふは五
厘なり、二百が一
錢、十
錢が二
貫なり。たゞし、一
圓を二
圓とは
云はず。
私は
一體京都の
者で、
毎度此の
金澤から
越中の
方へ
出懸けるが、一
度ある
事は二
度とやら、
船で(
一人坊主)になつて、
乘合の
衆に
嫌はれるのは
今度がこれで二
度目でござる。