いた)” の例文
即日父子葛にいたり、その状をいう。葛笑うていわく、汝が家染肆を張る、かつわれ何に従ってその数を知らんや、と。民拝しかつ泣く。
榛軒が事に阻げられて墓にいたらなかつたので、柏軒が代つて往つた。わたくしはさきに景珉の氏が不詳だと云つたが、此日記に谷村氏としてある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ささなみの大津の宮に人となり、唐土もろこし学芸ざえいたり深く、からうたも、此国ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し伝えられる御方。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
このつき燕王指揮しき李遠りえんをして軽騎六千を率いて徐沛じょはいいたり、南軍の資糧をかしむ。李遠、丘福きゅうふく薛禄せつろくと策応して、く功をおさめ、糧船数万そう、糧数百万をく。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令よしや其極處にいたらんも、昔のアヌンチヤタが境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタが末路は奈何いかなりしぞ。
これ児らの志なり。ここを以て児ら、まさに某日を以て同志とともに、益田行相こうしょうの門にいたり、故を告げて発せんとす。敢て許允きょいんを求めず、政府待つに逋亡ほぼうを以てするも可なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
その何のためにせしやを知らず、血気に任せてふるまいたりし事どもは、今に到りてみずからその意をりょうするにくるしむなり。昼間黒壁にいたりしことは両三回なるが故に、地理はそらんじ得たり。
黒壁 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
かくてシグツナの王宮にいたり得る美なる素女きむすめあらば、その女こそ目前差し迫った大禍難を無事に避くべき妙計を出し得べけれと。
たま/\燕王の護衛百戸の鄧庸とうようというもの、けついたり事を奏したりけるを、斉泰いてとらえて鞠問きくもんしけるに、王がまさに兵を挙げんとするの状をば逐一にもうしたり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一里三丁追分駅。一里十丁小田井駅。一里七丁岩村田なり。駒形明神にいたる。駒形石全く鈴杜烏石れいとうせきの類なり。一里半塩灘駅。大黒屋義左衛門の家に宿す。主人少く学を好む。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
我は猶二三章を讀みしかど、只だ冷澹にして輕浮なる評語の我耳にいたり入るあるのみ。人々は又我肺腑中より流れ出でたる句を聞きて、古人いにしへびと某の集より剽竊へうせつせるかと疑へり。
近江の大津の宮の内に成人なされて、唐土の学問にもいたり深くおありになりました。此国で、からうたをはじめて作られたのは、大友皇子様か、其ともお方かと申し伝へて居るほどで御座ります。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
『開元天宝遺事』に商山の隠士高太素、一時ごとに一猿ありて庭前にいた鞠躬きっきゅうしてく、なづけて報時猿とすと、時計の役を欠かさず勤めた重宝な猿松だ。
燕王辞すること再三、諸王羣臣ぐんしん頓首とんしゅして固く請う。王つい奉天殿ほうてんでんいたりて、皇帝の位に即く。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
古来よりの礫川れきせんと覚ゆ。廿七町八幡駅。卅二町望月駅。城光院にいたる。一里八丁蘆田駅。一里半長窪駅也。下和田に至て若宮八幡のやしろあり。此社前に小渠ありて九尺きよの橋を架たり。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ヴァイダルブハ民は王に忠誠を表せんとて一月間その子婦を王の閨房にる。スラシュトラ民の妻は王の御意に随い、独りまた伴うてその内宮にいたるを常とすと。
木片の薬師、銅塊どうくわい弥陀みだは、皆これ我が心を呼ぶの設け、あがめ尊まぬは烏滸をこなるべく、高野の蘭若らんにや比叡ひえ仏刹ぶつさつ、いづれか道の念を励まさゞらむ、参りいたらざるは愚魯おろかなるべし。
二日物語 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
その間家内にさえなくば何でもかでも押領し得るんだ、さてかの者自身縛られて王前にいたり叮嚀に豹首を布に包み携う、王問う「吾子よ何故汝はこの人(豹)を殺したか」
古事談は顕兼あきかねの撰で、余り確実のものとも為しかねるが、大日本史も貞盛伝に之を引いてゐる。それは斯様かうである。将門の在京中に、貞盛がかつて式部卿敦実あつざね親王のところにいたつた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
すなわち自ら誓いて曰く、我もし脱るるを得て、この厄難を免るれば、まさに沙門にいたって出家の法を受くべしと。既に出て山に入り、一仏塔に至り、欲愛を捨離し、出家して道をおさむ。
円珍十兵衛が家にもいたりて同じことをべ帰りけるが、さてその翌日となれば源太は鬚剃ひげそ月代さかやきして衣服をあらため、今日こそは上人のみずから我に御用仰せつけらるるなるべけれと勢い込んで
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
賊すなわち王にいたり請うて、女人の飾具瓔珞ようらくを種々出し、多く猴を集めこれをけて宮内に置くと、先から宮中にいた猴これを見て劣らじとぬすんだ珠をびて立ち出づるを賊が捕えて王に渡した。
圓珍十兵衞が家にもいたりて同じ事を演べ帰りけるが、さて其翌日となれば源太はひげ剃り月代さかやきして衣服をあらため、今日こそは上人の自ら我に御用仰せつけらるゝなるべけれと勢込んで、庫裏より通り
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
毘毘曇婆沙びびどんばしゃ』を引いていわく、昔一国王常に優陀摩子を敬し魚食を施す、この仙人食時ごとに空を飛び王宮にいたり、王迎えて自ら抱いて金牀上に坐せしめ食を供うるを、仙人食い終ってを説き
爾来彼童僕となって田作す、そのうち主人小豆くとて、童をしてつぼより取り出さしむると、自分の髪を見附け、いと重き小豆一荷持って主人にいたり、告別し去った、この童はブフット鬼だったという。