街衢がいく)” の例文
街衢がいくに罪福を説いたりしたがために、釈教に背き法令を犯すものとして罰せられ、枳林に禁錮されたとさえ言われているのである。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
街衢がいくはよく整頓され、家屋も道路も清潔に保たれてはあるが、なんだか方程式を見るような都市で、それ以上でもなければ、それ以下でもない。
レンブラントの国 (新字新仮名) / 野上豊一郎(著)
そして通りがかりに最初見てとったもの、無様式な新しい街衢がいくや四角な大建築などは、もっとローマを知りたいとの念を起こさせはしなかった。
摂待というのは「仏寺あるいは街衢がいくにて往来の人に茶湯を施すこと」と歳時記にある。日は別にきまっておらぬらしい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
堀割に沿うて造られた街衢がいく井然せいぜんたることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。
松江印象記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
震災後街衢がいくが段々立派になり、電車線路を隔てた栄久町の側には近代茶房ミナトなどという看板も見えているし、浄土宗浄念寺も立派に建立こんりゅうせられているし
三筋町界隈 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
日はあかくヱネチアのまちを照して、寺々の鐘は皆鳴り響けり。されど街衢がいくげきとして人影なきに似たり。船渠せんきよを覗へば、只だ一舟のよこたはれるありて、こゝにも人を見ざりき。
張昺等を北平城の内外に分ち、甲馬は街衢がいく馳突ちとつし、鉦鼓しょうこ遠邇えんじ喧鞠けんきくし、臣が府を囲み守る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
江戸繁華の街衢がいくを行くものもまた路傍の犬と共に長き日を暮らしかぬるが如き態度を示せり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
此方こなた街衢がいくに輝いて居れば、対岸には宏壮のビルディングが、——上海製糸、川崎ドック、英米煙草会社、日華紗廠さしょう、そういったビルディングが窓々から、強い光度の電燈を
そして風の強い街衢がいくを一時間近く走り続けた。その間栄介は腕組みをしたまま、一言も口をきかなかった。やがて車は銀杏並木の道を走っていた。途中で右折すると、並木はけやきに変る。
狂い凧 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
海辺に家宅かたくある士民、老幼婦女の立退かんとて家財雑具を持運ぶ様、さしもにひろき府下の街衢がいくも、奔走狼狽してきりを立つべき処もなし。訛言かげんしたがって沸騰し、人心恟々きょうきょうとして定まらず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
すべての夜の街衢がいくのよそおいが晴晴しく輝いて、私どもの健康なからだに触れるものを懐しがった。美しい逞しい女の散歩する姿もひとりでに今夜は、わけてもしめやかに眼にうつった。
或る少女の死まで (新字新仮名) / 室生犀星(著)
てんいまだくらし。東方とうはう臥龍山ぐわりうざんいたゞきすこしくしらみて、旭日きよくじつ一帶いつたいこうてうせり。昧爽まいさうきよく、しんみて、街衢がいく縱横じうわう地平線ちへいせんみな眼眸がんぼううちにあり。しかして國主こくしゆ掌中しやうちうたみ十萬じふまんいまはたなにをなしつゝあるか。
鉄槌の音 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
列車の窓が次々に送り迎える巍然ぎぜんたる街衢がいく、その街衢と街衢との切れ目毎にちらつく議事堂の尖塔せんとうを遠望すると、今更に九年の歳月と云うものの長さ、———その間には帝都の変貌へんぼうのみならず
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
京都の諸坊、諸司、諸衛が、おのおの一団となって、田楽を踊りながら、寺へまいり、街衢がいくをうろつくのである。高足一足、腰鼓、振鼓、銅鈸子どびょうし編木びんざさら殖女養女うえめかいめの類、日夜絶ゆることなしとある。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
見えない街路の中に行動してる密集した軍隊の気配けはい、おりおり高まる騎兵の疾駆する音、砲兵の行進する重いとどろき、パリー街衢がいくに交差する銃火と砲火、屋根の上に立ち上ってゆく金色の戦塵せんじん
車はさっき乗って来た街衢がいくを、逆にしごいて走る。五郎は忙しく地図の形を頭に浮べていた。二十年前のここらは、すっかり爆撃にやられて、骨組みだけの建物と瓦礫だけの町であった。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
黒田権少属、熊城史生出デヽ郛門ふもんニ迎フ。コノ地原ハ仙台ノ支族伊達安芸あきノ居所ニ係ル。街衢がいく井然せいぜんトシテ商估肆しょうこしつらネ隠然トシテ一諸侯ノ城邑ノ如シ。今春土浦ノ藩士朝命ヲ以テ来リ鎮ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
街衢がいくの地割の井然せいぜんたるは、幾何學の圖をひらきたる如く、軒は同じく出で、はしごは同じく高く、家々の並びたるさまは、檢閲のために列をなしたる兵卒に殊ならず。清潔なることはいかにも清潔なり。
小僧行基及びその徒弟等、街衢がいくにて妄りに罪禍を説き、朋党を構えて指臂しひ焚剥ふんぱくせしめ、諸家を歴訪仮説して強いて余物を乞い、聖道を詐称し百姓ひゃくせいを妖惑する。ために道俗擾乱じょうらんし四民は業を棄てる。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
オペラは欧洲の本土に在っては風雪もっとも凛冽りんれつなる冬季にのみ興行せられるのが例である。それ故わたくしの西洋音楽を聴いて直に想い起すものは、深夜の燈火に照された雪中街衢がいくの光景であった。
帝国劇場のオペラ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
古劇場の觀棚さじきの如し。當面には細長き一條の町ありて通ず。熔巖の板を敷けること拿破里の街衢がいくと異なることなし。けだしこの板は遠く彼基督紀元七十九年の前にありて噴火せし時の遺物なるべし。
しかしこれら市中の溝渠は大かた大正十二年癸亥きがいの震災前後、街衢がいくの改造されるにつれて、あるいは埋められ、あるいは暗渠となって地中に隠され、旧観を存するものは殆どないようになった。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
西洋文明を模倣もほうした都市の光景もここに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。この悲哀は街衢がいくのさまよりもむしろここに生活する女給の境遇について、更に一層痛切に感じられる。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
銀座は極東帝国の街衢がいくなり尚武の国風自らステッキに現わる。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)