流罪るざい)” の例文
それからの旭茶屋事件には、仏人からの命いがあり、九人の土州兵を流罪るざいということにして肥後と芸州とに預けるような相談も出た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
我若しヴィルジリオとを同じうするをえたらんには、わが流罪るざいとき滿つること一年ひととせおくるゝともいとはざらんに。 一〇〇—一〇二
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
「むろん流罪るざいじゃ。陰陽おんよういえへ生まれてこの祈りを仕損じたら、安倍の家のほろぶるは当然じゃ」と、忠通は罵るように言った。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
流罪るざいにも二通りある。ある地方を限って牢の中に入れずに放任して置くところの流罪と、また牢の中に入れて置く流罪とがある。それから
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
国司の下の役人と、大喧嘩を起し、国庁を焼いたり、吏員を殺傷し、流罪るざいに科せられ、一族十八人、珠数じゅずつなぎに、配所へ送られたことがある。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなたがこの島にご流罪るざいになられたと聞いてから奥方のおなげきははたの見る目も苦しいほどでございました。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
柳沢吉保が、将軍を邸に迎え、宴席におのれの妻娘をはべらせた、というのをふうしたものだそうで、その作者である町絵師、英一蝶はなぶさいっちょうは、とがめをうけて流罪るざいになった。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
此一詩をもつても無実むじつ流罪るざいしよして露ばかりも帝をうらみ玉はざりしを知るべし。朝廷てうていうらみ給ひて魔道まだうに入り、雷公かみなりになり玉ひたりといふ妄説まうせつは次にべんずべし。
せばめられてひるヶ小島へ流罪るざいと成せられたれども終には石橋山に義兵をあげられし處其軍利なくして伏木ふしきの穴にかくれ給ひしを梶原が二心より危き御身を助り夫より御運を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
昔は順徳帝を始め、日蓮上人などが流罪るざいの歳月を送られし佐渡が島は、多くの物語を残す所であります。今は新潟市から両津りょうつの港までわずか三時間の旅となりました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この峠は大明神峠とも呼ばれている、尾瀬大(中?)納言が讒者ざんしゃのために流罪るざいとなって、此処ここを過ぎられた時に、大明神が現出されてみちに枝折をされたという伝説がある
平ヶ岳登攀記 (新字新仮名) / 高頭仁兵衛(著)
其れから御坊ごばうは昔願泉寺と云ふ真言宗しんごんしう御寺おてらの廃地であつたのを、此の岡崎は祖師親鸞上人しんらんしやうにんが越後へ流罪るざいきまつた時、少時しばらく此地こヽ草庵さうあんを構へ、此の岡崎から発足はつそくせられた旧蹟だと云ふ縁故ゆかりから
蓬生 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
扶持切米ふちきりまい召し放され、渡川限わたりかわかぎり西へ流罪るざい仰せ付けられる。袴刀はかまかたなのままにてまかり越して好いと云うのが一つ。実子あるものは実子を兵卒に召し抱え、二人扶持切米四石を下し置かれると云うのが二つ。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
或いは流罪るざい両度に及べり、二十余年が間
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かんざしの花もしぼみたる流罪るざい天女てんにょあわれむべし。
海城発電 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
流罪るざいは軽い。善信を途中で引きずり下ろせ。そして、ぞんぶんに私刑を与えてから、都から追ん出してやるがよろしい)
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此一詩をもつても無実むじつ流罪るざいしよして露ばかりも帝をうらみ玉はざりしを知るべし。朝廷てうていうらみ給ひて魔道まだうに入り、雷公かみなりになり玉ひたりといふ妄説まうせつは次にべんずべし。
二十日には、師高、師経の裁判が、花山院中納言の手で開かれ、師高は尾張に流罪るざい、師経は禁獄に処せられ、更に、神輿に矢を射た重盛の家来六人も獄につながれた。
万一わたしが帰って来なければ、お前さんは囚人めしゅうどを取り逃がしたというので流罪るざいになるかも知れませんが、これまで私のあげた物で不自由なしに暮らして行かれる筈です。
善右衛門の子三人は流罪るざい、孫二人は仙台から十里外に放逐。家財は闕所けっしょということであった。
いと深く愛する物をば汝こと/″\く棄て去らむ、是即ち流罪るざいの弓の第一に射放つ矢なり 五五—五七
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
いったい人を刑罰に処してあるいはこれを殺せとか、または流罪るざいにせよとかいう命令を下すということは、政治上俗人の上からいえば当然の事で少しも不思議はないのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
流罪るざいに科せらるるにおいては、これよりはいやでも、念仏信者が日本の全土にわたってその信を植えることになる——
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは何々の罪状によってこの者は幾日の間こういう晒し者にして、その後あるいは流罪るざいあるいは叩き放しにするとかいうような事なんです。叩くのは三百より七百位まであります。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「大切の祈祷を仕損じた泰親じゃ。重ければ流罪るざい、軽くともいえの職を奪わるる。その御沙汰がきょうにもあるべき筈じゃに、今になんのお使いもないは……」と、泰親はかしらをかたむけた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
申にぞ越前殿其松五郎は何方いづこにありしやとのおたづねに右松五郎は先達さきだつ惡漢わるもの八五郎と申者召捕めしとられし時より何處へか逃去にげさり其後行方分らざるよし申立ければ越前守殿其八五郎とは先達さきだつて八丈島へ流罪るざい申付たるどろ八が事ならん其せつ泥八が申口にて相尋あひたづねし松五郎なる者行衞ゆくゑ知れず勿論もちろん其節ならば其方を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
越後の国府こう流罪るざいとさだまると、彼は一先ず、評定所の門から出され、その日の来るまでは、岡崎に蟄居ちっきょと決まった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
以来芸州の福島正則まさのり、肥後の加藤忠広を始め、駿河大納言するがだいなごん家にいたるまで、仮借かしゃくなく剔抉ていけつし、藩地を召上げ、正則も配流はいる、忠広も流罪るざい、大納言家も、今、御幽閉させて
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「下野の秀郷の名は、私の郷のほうへも聞えています。けれど、その秀郷は、私がまだ豊田郷にいた頃に、何か、大きな争いを起して、流罪るざいになったとかいう評判でしたが」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『夫婦しての、流され人とは、どこの、たれか。——何をしての、流罪るざいであろぞ』
したがって、宋江の就いていた押司おうしの職なども、重要なだけに、ちょっとした私意や違法の間違いを犯すと、ざんに会って、すぐ流罪るざいだの家産没取のやくにあい、その連累れんるいは、一族にまでおよぶ有様。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひそめさせるだけだ。一命は助けてとらそう。流罪るざい申しつけろ
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
道誉と秀綱は、このことで流罪るざいになった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)