常磐ときわ)” の例文
山の上では今常磐ときわ花壇のある所は日吉ひえ山王の社で総彫り物総金の立派なお宮が建っていました。その前のがけの上が清水堂きよみずどう、左に鐘楼堂。
行人橋ぎょうにんばしから御嶽山道について常磐ときわの渡しへと取り、三沢というところで登山者のために備えてあるいかだを待ち、その渡しをも渡って
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
大方の冬木立は赤裸あかはだかになった今日此頃このごろでも、もみの林のみは常磐ときわの緑を誇って、一丈に余る高い梢は灰色の空をしのいで矗々すくすくそびえていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「ここへ来たかというのかえ。……下谷の常磐ときわで待ち合わそうと、お前と約束はしたけれど、気になったので見に来ると……」
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
雪の日の常磐ときわ御前に、眼をしばたたき、鞍馬の遮那王しゃなおう牛若が、僧正ヶ谷で、夜ごと、天狗てんぐから剣法をうけて、京を脱出するところへくると
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
清盛きよもりはいくら常磐ときわさがしてもつからないものですからこまって、常磐ときわのおかあさんの関屋せきやというおばあさんをつかまえて
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
そのころとしては作家たちを花屋敷の常磐ときわという一流料亭に招待したり、一足飛びに稿料何円かを支払って一般の稿料価上げを促したものである。
先づ木立深き処に枯木常磐ときわ木を吹き鳴す木枯こがらしの風、とろとろ阪の曲り曲りに吹きめられし落葉のまたはらはらと動きたる、岡の田圃たんぼに続く処
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
「私の心の常磐ときわな色に自信を持って、恐れのある場所へもおたずねして来たのですが、あなたは冷たくお扱いになる」
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
常磐ときわというのは全く松蔭の匿名かくしなで大藏の家来有助が頼まれて尾久在おうございへ持ってまいるとまでは調べました、またそれに千早殿としたゝめてあるのは、頓と分りませんが
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
トチワすなわち常磐ときわ国については、大正元年十一月の『人性』に拙見を出した。似た話もあるもので、東牟婁郡高田村に代々葬後墓をあばき尸をぬすみ去らるる家あり。
むかしは土手の平松ひらまつとかいった料理屋の跡を、そのままの牛肉屋常磐ときわの門前から斜に堤を下り、やがて真直まっすぐに浅草公園の十二階下に出る千束町せんぞくまち二、三丁目の通りである。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東詰ひがしづめに高札を立ててあった常磐ときわ橋、河岸から大名屋敷へつづいて、火の見やぐらの高く建っていた呉服橋、そこから鍛冶かじ橋、江戸橋と見わたして、はては細川侯邸の通りから
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
それはインドに産する常磐ときわの大喬木で無花果属すなわちイチジク属に属し Ficus religiosa L.(この種名の religiosa は宗教ノという意味)
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
元来松は常磐ときわにて最明寺さいみょうじ御馳走ごちそうをしてから以来今日こんにちに至るまで、いやにごつごつしている。従って松の幹ほど滑らないものはない。手懸りのいいものはない。足懸りのいいものはない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「どッかで飲もう」ということになり、つれ立って、奥の常磐ときわへあがった。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
この喜多見の原の家に住み始めてから、今度はもう第十回目の春がかえって来る。この間における草木の有為転変は、一つの巨大なる歴史であって、これに比べると人はむしろ常磐ときわであったとも言える。
車窓からは見えもしないが、絵巻「山中常磐ときわ」に描かれた常磐御前の終焉しゅうえんの地という美濃山中もこの辺の山間にちがいない。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おたずねになっている常磐ときわでございます。三にん子供こどもをつれて出ました。わたくしはころされてもようございますから、ははいのちをおたすくださいまし。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
あの行人橋ぎょうにんばしから御嶽山道について常磐ときわの渡しまでお歩きになれば、今度お越しになったと同じ道に落ち合います。この次ぎはぜひ、福島の方からお回りください。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中田千早なかだちはや様へ常磐ときわよりと……常磐の二字は松蔭の匿名かくしなに相違ないが、千早と云うが分らん、の下男を
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
常磐ときわが三子助命のために忍んで夫の仇に身を任せたは美談か知らぬが、寵ゆるんで更に他の男に嫁し
そのころ流行った常磐ときわという紙巻に火をつけて半七老人に一本すすめると、老人は丁寧に会釈して受け取って、なんだかきな臭いというような顔をしながら口のさきでふかしていた。
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「行く先のご無事を祈り申しておるぞ。常磐ときわさま始め、おちいさい公達きんだちたちのご先途、くれぐれも頼み参らすぞ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
王滝口への山道はその対岸にあった。御嶽登山をこころざすものはその道を取っても、越立こしだち下条しもじょう、黒田なぞの山村を経て、常磐ときわの渡しの付近に達することができた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ちょうどふゆのことで、ゆきがたいそうっていました。常磐ときわ牛若うしわかふところれて、乙若おとわかの手をひいて、ゆきの中をあるいて行きました。今若いまわかはそのあとからついて行きました。
牛若と弁慶 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
九条院のうちへ、三児を抱いて常磐ときわがかくされて、やがて自首の旨を、六波羅へ訴えて出て来たのは。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ゆかり様。——それはご当家に再縁あそばしてからの更名かえなでございましょう。以前はたしか常磐ときわ様」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「よう、成人したものだ。……常磐ときわのふところに抱かれて、ほかの幼い和子わこたちと、六波羅ろくはら殿に捕われたといううわさに、京の人々が涙をしぼった保元ほうげんの昔は、つい昨日きのうのようだが」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遮那王といえば、源家の嫡男ちゃくなん前左馬頭義朝さきのさまのかみよしともの末子で、幼名おさななを、牛若といった御曹子おんぞうしのことだ。常磐ときわとよぶ母の乳ぶさからはなされて、鞍馬寺へ追い上げられてから、もう、十年の余になる。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常磐ときわ(二十三歳)義朝の愛人、今若、乙若、牛若の三児をかかえ、捕われて、その子たちの助命を清盛に乞う。ちまたには、清盛とのうわさがいろいろ取沙汰され、今は壬生みぶ小館こやかたにかこわれている。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)