咀嚼そしゃく)” の例文
白く透き通る切片は、咀嚼そしゃくのために、上品なうま味にきくずされ、程よい滋味の圧感に混って、子供の細い咽喉へ通って行った。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
今になりて思ひ得たる事あり、これまで余が横臥おうがせるにかかはらず割合に多くの食物を消化し得たるは咀嚼そしゃくの力あずかつて多きに居りし事を。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
代助は座敷へ戻って、しばらく、兄の警句を咀嚼そしゃくしていた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
北斎は初め勝川春章かつかわしゅんしょうにつきて浮世絵の描法を修むるのかたわら堤等琳つつみとうりんの門に入りて狩野かのうの古法をうかがひ、のちみずか歌麿うたまろの画風を迎へてよくこれを咀嚼そしゃく
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かくしてインドや西域の文化は、ようやく漢人に咀嚼そしゃくせられ始めたのである。異国情調を慕う心もそれに伴って起こった。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
ところが東洋の哲学を咀嚼そしゃくしないで単に西洋の哲学の受け売りをして、翻訳的、紹介的に煩瑣なる羅列を試み、鸚鵡おうむ的にくり返すというような状態で
そこで、僕はその妖異譚の解剖を試みたことがあった。ねえ熊城君、中世非文献的史詩と殺人事件との関係つながりを、ここで充分咀嚼そしゃくしてもらいたいと思うのだよ
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
この活力と才能を有すればこそ、メーソン氏のいう西洋の功利的文化を咀嚼そしゃくし得る東洋人は同胞のみなのだ。
東西相触れて (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
顔の下の方、口のところ、咀嚼そしゃくに使う上下のあごに歯なんぞは、卑しい体の部であるから小さくした。若しこっちの方を大きくすると、段々猿に似て来るのである。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
たとえ西洋の風を加味したものでも、充分日本で咀嚼そしゃくされたものを尊ばねばなりません。日本人は日本で生れた固有のものを主にして暮すのが至当でありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
それでも独逸文だけは咀嚼そしゃくする力があったとみえて、熱心に巻物を拡げて読みふけっているのであった。
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
父の心は、子のかれにとって、まだまだ咀嚼そしゃくするにはむずかしい。深いのやら、あるいは、未練なのやら、分かるような気もするし、まったく分らないようにも思う。
同様に困るのはかの無学者——他日充分の準備教育を施したあかつきには、われ等の唱道する所を、咀嚼そしゃく翫味がんみするに至るであろうが、当分まだわれ等の仕事とは没交渉である。
彼の白い脳髄のひだを、無数の群蟲ぐんちゅうが、ウジャウジャ這い廻った。あらゆるものをくらいつくす、それらの微生物の、ムチムチという咀嚼そしゃくの音が、耳鳴りの様に鳴り渡った。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
数多の時代によってまだよく咀嚼そしゃくされていない何か真実な強健なものにたいする、感受性の一種の怠惰さが、他のどこよりもかかる小都市にいっそうはなはだしかった。
おしまいには米の飯さえ満足に咀嚼そしゃくすることが困難になったので、とうとう思い切って根本的に大清算を決行して上下の入れ歯をこしらえたのが四十余歳のころであった。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
が、すでに数年密偵部にいるのだから、下手へたに反問することの危険を熟知している。すべて命令は鵜呑うのみにすべきで、勝手に咀嚼そしゃくしたり吐き出したりすべきものではない。
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
ことに家を建てるという考えは、幾度び彼の頭の中で咀嚼そしゃくされ、反芻はんすうされたことであろう。
犠牲者 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
彼の前には読みかけた書物が、象牙ぞうげ紙切小刀ペエパアナイフを挟んだまま、さっきからちゃんと開いてあった。が、今の彼には、その頁に詰まっている思想を咀嚼そしゃくするだけの根気がなかった。
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
けれども異国語の難関をのり越え、爛熟らんじゅくした生活感情を咀嚼そしゃくしてまで、老大国の文学を机辺の風雅とすることは、あまりに稚い民族には、いまだ興り得ない、精神の放蕩ほうとうであった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
第一に歯の咀嚼そしゃくを受け、唾液にて澱粉でんぷんを糖分に変化せしめられ、胃に入りて胃筋の機械的作用と胃液の化学作用を受け、それより小腸に入りて腸液と膵液すいえきと胆汁の消化作用を受け
食道楽:春の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
いつも咀嚼そしゃくしてゆくということが、大事な心の営養のヴィタミンABCDでしょう。
女性の生活態度 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
彼らはオースチンの講ずる卓越せる学理を到底咀嚼そしゃく了解することが出来なかったために、聴講者は一人減り二人減り、講義が進行するに随って、その教室は漸々寂寞せきばくを感ずるようになり
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
おれの異常、おれの狂気、おれという一つの恐怖さえ平然と咀嚼そしゃくし、石を投げ入れた沼ほどの動揺もみせない女。もしかしたら、おれはこの女とならいっしょにやっていけるのかもしれない。
愛のごとく (新字新仮名) / 山川方夫(著)
一時に多量の人参にんじんを猿に与えると、猿は最初の間は実際これを咀嚼そしゃくしてのみこんでしまうが、一通り腹が張ってからのちは、ただこれを口の中にたくわえ、両側のほおを風船玉のごとくにふくらして
動物の私有財産 (新字新仮名) / 丘浅次郎(著)
咀嚼そしゃくとであります。
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だから、かの女は自分の妄想もうそうまでが、領土を広く持っている気がするのである。自分の妄想までをそばで逸作の機敏な部分が、咀嚼そしゃくしていてれる。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ただその咀嚼そしゃくの程度がガンダーラ芸術よりもはるかに強かったために著しく独自な芸術となり得たのであろう。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
当時の詩風を代表すべきものは寛斎の門より出でた柏木如亭かしわぎじょてい大窪詩仏おおくぼしぶつ菊池五山きくちござんである。梁川星巌やながわせいがんに及んで唐宋元明の諸風を咀嚼そしゃくし別に一家の風を成した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ところが「覚悟」という彼の言葉を、頭のなかで何遍なんべん咀嚼そしゃくしているうちに、私の得意はだんだん色を失って、しまいにはぐらぐらうごき始めるようになりました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
歯の役目は食物を咀嚼そしゃくし、敵にかみつき、パイプをくわえ、ラッパの口金をくちびるに押しつけるときの下敷きになる等のほかにもっともっと重大な仕事に関係している。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
教育者が社会より優遇せられざる間は充分に教育の精神を咀嚼そしゃくすること不可能である。
教育の最大目的 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
今でも九州ほど製陶の業が盛なところを他に見ないのは、そういう歴史に由来するからであります。三百年の歳月は朝鮮のふうを充分に咀嚼そしゃくして、日本のものにすべてをこなしました。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
余りに逸楽いつらくすぎる末期的な生活と制度にれていた民衆と——武骨一点ばりで、民心の作用も、文化の本質も、よく咀嚼そしゃくしない我武者のとのあいだに、のべつ喰いちがいが起った。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
消化力ばかりでなく老人と子供は咀嚼そしゃく嚥下えんかの働きまで弱いのです。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼そしゃくして咽喉のどへきれいにみ下してから次の端を噛み取ることにかかる。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
阿倍仲麿あべのなかまろが玄宗の眷顧を得、王維・李白等と親しかったのに見ても唐の文化を咀嚼そしゃくする能力は、少なくとも優秀な少数者においては、さほど幼稚であったとは思えない。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
一はく他国の文化を咀嚼そしゃく玩味がんみして自己薬籠中の物となしたるに反して、一はいたずらに新奇を迎うるにのみ急しく全く己れをかえりみいとまなきことである。これそも何が故に然るや。
向嶋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
何でも鵜呑うのみにしては消化されない、歯の咀嚼そしゃく能力は退化し、食ったものは栄養にならない。しかるに如何なる案内者といえども絶対的に誤謬のないという事は保証し難い。
そうしてその或部分に来ると、あたかも炒豆いりまめを口に入れた人のように、咀嚼そしゃくしつつ味わった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何か力のないものが、上から落としたものを探って這い集まってくるような感じです。そして、ムシャムシャと食物を咀嚼そしゃくするうるさい音です。無論ひとりや二人とは思われません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも日本の品と公に呼べるものは、それらをいてどこにあろうか。そこには借り物がない。日本で咀嚼そしゃくし、日本で産んだ工藝である。民藝で今も日本を語れるのは日本人の特権である。
地方の民芸 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
御膳を出してやって、その上に箸で口へ持ち込んでやって丸呑みにさせるという風な育て方よりも、生徒自身に箸をとってよく選り分け、よく味わい、よく咀嚼そしゃくさせる方がよい。
物理学実験の教授について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そもそも俳諧狂歌の類は江戸泰平の時を得て漢学和学の両文学渾然こんぜんとして融化ゆうか咀嚼そしゃくせられたるの結果偶然現はれ来りしもの、便すなわ我邦わがくに古文明円熟の一極点を示すものと見るべきなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
また、それに伴う多少の弊風へいふうも仕方のないお添え物とまず大きく呑みこんではいる。けれど歯も咀嚼そしゃくしようとせず、彼の消化器も絶対に拒否しているものがある。宗教と教育であった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある場合は薩摩に注文したものもあり、また本土のものを将来した場合もあって、その間の関係は濃い。しかしこの孤島の陶工は決して模倣に終らず、よく咀嚼そしゃくして独自の風に凡てを変えた。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
むしろ自分から進んで彼の姿を咀嚼そしゃくしながらうろついていたのです。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
欧州文化の咀嚼そしゃくにおいても、また自国文化の自覚においても。
(新字新仮名) / 和辻哲郎(著)