“伊豆(いづ)” の例文
「吉三郎は相模者で、お前は伊豆(いづ)——海一つ向うだな、——番頭の與母吉は何うだ。ちよいちよいお前を附け廻したと言ふではないか」
そんな譯(わけ)で伊豆(いづ)山から歸(かへ)つてくると、早速家の近くに通ひの球突塲(たまつきば)を見つけて、さすがに學校を全(まつた)くエスするといふほどではなかつたが
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
大島(おほしま)といふ名前(なまへ)の火山島(かざんとう)か伊豆(いづ)と渡島(おしま)とにある。伊豆(いづ)の大島(おほしま)の有(ゆう)する火山(かざん)は三原山(みはらやま)(高(たか)さ七百五十五米(しちひやくごじゆうごめーとる))と名(な)づけられ、噴火(ふんか)の古(ふる)い歴史(れきし)を有(ゆう)してゐる。
火山の話 (旧字旧仮名) / 今村明恒(著)
與へしかば藤八は押戴(おしいたゞ)き重々(ぢう/\)有難き仕合なりとて宿役人倶々(とも/″\)介抱(かいはう)なせしに漸々(やう/\)氣の付ければ驛(しゆく)役人同道にて直(すぐ)に吉原驛(じゆく)伊豆(いづ)屋甚(じん)助方へ到(いた)り本陣の御沙汰を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
箱根(はこね)、伊豆(いづ)の方面(はうめん)へ旅行(りよかう)する者(もの)は國府津(こふづ)まで來(く)ると最早(もはや)目的地(もくてきち)の傍(そば)まで着(つ)ゐた氣(き)がして心(こゝろ)も勇(いさ)むのが常(つね)であるが、自分等(じぶんら)二人(ふたり)は全然(まるで)そんな樣子(やうす)もなかつた。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
伊豆(いづ)の修禪寺(しゆぜんじ)に頼家(よりいへ)の面(おもて)といふあり。作人(さくにん)も知れず。由來もしれず。木彫の假面(めん)にて、年を經たるまゝ面目分明ならねど、所謂(いはゆる)古色蒼然たるもの、觀(み)來(きた)つて一種の詩趣をおぼゆ。
修禅寺物語 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
しまひにはさういふ意識のなかに自ら涵(ひた)つてしまつたせいであらうか、日本軍艦数隻が沈没し、伊豆(いづ)の大島が滅して半島の近くに新しい島が出来、神聖(ハイリーゲ)江の島が全く無くなつてしまつたといふ
日本大地震 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
碧水金砂(へきすゐきんさ)、晝(ひる)の趣(おもむき)とは違(ちが)つて、靈山(りやうぜん)ヶ崎(さき)の突端(とつぱな)と小坪(こつぼ)の濱(はま)でおしまはした遠淺(とほあさ)は、暗黒(あんこく)の色(いろ)を帶(お)び、伊豆(いづ)の七島(しちたう)も見(み)ゆるといふ蒼海原(あをうなばら)は、さゝ濁(にごり)に濁(にご)つて、果(はて)なくおつかぶさつたやうに堆(うづだか)い水面(すゐめん)は
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
初汐(はつしほ)や朝日の中に伊豆(いづ)相模(さがみ)
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
「虎——といふ男です。滿更の乞食ぢやありません。あれでも昔は傳馬町の伊豆(いづ)屋の若旦那で、虎松さんと言はれた好い男の成れの果てで——」
處(ところ)で、私(わたし)が球突(たまつき)を初(はじ)めたのは三田の文科(ぶんくわ)の豫科(よくわ)生だつた二十一の時で、秋(あき)に例(れい)のやうにからだを惡(わる)くして伊豆(いづ)山の相模屋旅館(さがみやりよくわん)に一月ほどを暮(くら)したが
文壇球突物語 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
手近(てぢか)な所(ところ)を引較(ひきくら)べる……一寸(ちよつと)伊豆(いづ)の大仁(おほひと)と言(い)つた気(き)がしたのである。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
「外では日本橋の佐渡屋の若旦那、浪人の染井五郎樣、伊豆(いづ)屋の弟御」