鶴見つるみ)” の例文
次に陀羅尼だらにということばですが、これもまた梵語で、翻訳すれば「惣持そうじ」、べてを持つということで、あの鶴見つるみ惣持寺そうじじの惣持です。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
は、毎電まいでん東京毎日とうきやうまいにち、やまと、日本にほん記者きしやともに、山越やまごしをして、駒岡貝塚こまをかかひづか末吉貝塚すゑよしかひづか遺跡ゐせきぎ、鶴見つるみ歸宅きたくした。
その日の午後魔子は来て「パパとママは鶴見つるみ叔父おじさんとこへ行ったの。今夜はお泊りかも知れないのよ」といった。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
トロリとした鶴見つるみ神奈川かながはぎて平沼ひらぬまめた。わづかの假寢うたゝねではあるが、それでも氣分きぶんがサツパリして多少いくら元氣げんきいたのでこりずまに義母おつかさん
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
田所町たどころちょうのメリンスの風呂敷問屋ふろしきどんやの慰安会にサ—ビスがかりを頼まれ、一日鶴見つるみの花月園へ行ったことがあった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
子安こやす生麦なまむぎ鶴見つるみ、川崎——、浦づたいの道はそこで切れて、六ごう川の渡舟わたし——、乗合いの客はこんでいた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佃島つくだじまの家にいることがすくなくなって、あらたに、母の住むようになった、鶴見つるみの丘の方のうちにいたし、佃島しまでは出入りに不便でもあるので、小石川に大きな邸をもって
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
そして其の一つの常用地として、長谷川時雨しぐれさんの妹さんがやつてゐる、鶴見つるみ花香苑はなかゑんがあつた。確か六月の事だつたが、いつもの通り其処へ出かけて行つてみると、生憎あいにく部屋が一ぱいだつた。
私の社交ダンス (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
鶴見つるみの橋詰めにはすぎ角柱かくばしら大貫おおぬきを通した関門が新たに建てられた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
鶴見つるみ、花月園。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
大評判おほひやうばん怪窟くわいくつ※それは、東京とうきやう横濱よこはまとの中間ちうかんで、川崎かはさきからも鶴見つるみからも一らずのところである。神奈川縣橘樹郡旭村大字駒岡村かながはけんたちばなごほりあさひむらおほあざこまおかむら瓢簟山ひようたんやま東面部とうめんぶ其怪窟そのくわいくつはある。
しかし土曜の午後を楽しんで鶴見つるみへ一緒にゆく事になっているちいさいおいが、学校でさぞ待っているであろうと思えば、心のどかにしている間が、おしい気がするのだった。
一世お鯉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
東京朝日新聞とうきやうあさひしんぶん記者きしやにして考古家中かうこかちう嶄然ざんぜん頭角とうかくあらはせる水谷幻花氏みづたにげんくわし同行どうかうして、は四十一ねんぐわつ午前ごぜんくもり鶴見つるみ電車停留場でんしやていりうぢやう到着たうちやくすると、もなく都新聞みやこしんぶん吉見氏よしみし
わたしの眼には、それよりずっとあとの、大正六、七年ごろ、もう最後に近いおりの、がくりとほおのおちた、鶴見つるみのわたしの家で会食したおりの、つかれはてた顔ばかりが浮んでいる。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
玄子げんし器具きぐなどかつぎ、鶴見つるみにて電車でんしやり、徒歩とほにて末吉すゑよしいた。
望蜀生ぼうしよくせい完全くわんぜんなる土器どきふた掘出ほりだしてたので、きふきたいり、三十六ねん十二ぐわつ十四に、幻花翁げんくわおう望蜀生ぼうしよくせい玄川子げんせんしとの四人連にんづれ品川しながはから汽車きしや鶴見つるみ、それから一里弱りじやく下末吉村しもすゑよしむらへとつた。