錯覚さっかく)” の例文
旧字:錯覺
このあたりには今も明治時代の異国情調が漂っていて、ときによると彼自身が古い錦絵にしきえの人物であるような錯覚さっかくさえ起るのであった。
人造人間事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その錯覚さっかくは、次の驚きで、瞬間にケシ飛ばされた。鉄棒のはまっている石倉の採光窓さいこうまどの外へ、白い女の顔が、落ッこちたように隠れた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
昔どおりのみさきの子の表情である。十八年という歳月さいげつ昨日きのうのことのように思い、昨日につづく今日のような錯覚さっかくにさえとらわれた。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
すると、それでもう時代は上り坂になり、その事件が日本の無限の発展を約束してでもいるかのような錯覚さっかくに陥ってしまう。例えば、——
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
錯覚さっかく。そうと思いこんだ眼に、一時それが実在のごとく閃めいただけで、恋しなつかしのこけ猿の茶壺! と、思いきや!
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
まだきあっていて、余計、たまらなく、飛びだそうとした刹那せつな、ふいに、その若い二人が、ゆめの中のあなたとぼくのように、錯覚さっかくされ、もう一度、振りかえり
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
が、それが私の奇妙な錯覚さっかくであることを、やがて私のうちによみがえって来たその頃の記憶きおく明瞭めいりょうにさせた。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
久助君はその少年の横顔を見ているうちに、きみょうな錯覚さっかくにとらわれはじめた。じぶんは、まちがってよその学校へきてしまったのではないかと、思ったのである。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
「あなた、それが惑いよ。迷いよ。四十を越して若い積りでいらっしゃるのは大きな錯覚さっかくですわ」
四十不惑 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
そして親の錯覚さっかくかも知れぬが、興味の動きかたには幅がありそうだから、見ていて前途が面白そうだ。料理が上手で、芸術に理解の深いおよめさんと組むと一層幸福らしい。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
が、夫はふり返ると、ちょっと当惑らしい表情を浮べ、「どこに?……気のせいだよ」と答えたばかりだった。たね子は夫にこう言われない前にも彼女の錯覚さっかくに気づいていた。
たね子の憂鬱 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
その機会を助手の一人が利用し、しばらく藁ぶとんの味を楽しもうとして、今、ひどくその罰を受けたところだった。ところが、フリーダは何も発見できなかった。おそらく錯覚さっかくだったのだ。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
彼はそのにおいをぎ嗅ぎのろい足並を我慢して実直にその跡を踏んだ。男は背が高いのでうしろから見ると、ちょっと西洋人のように思われた。それには彼の吹かしている強い葉巻が多少錯覚さっかくを助けた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は錯覚さっかくはらいのけるように、ふっと天井てんじょうを見上げた。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
周囲の人間はみな、自分のために存在しているという錯覚さっかくによるのである。自己が他のために尽すなどは思いも及ばないことだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはあり得べき事か、またはY——の錯覚さっかくであるか、それはこの物語がすんだあとで貴方は当然私に答えて下さらなければならないのです。——
壊れたバリコン (新字新仮名) / 海野十三(著)
それはすこし長い放心状態の後では、しばしば私にやってくるところの一種独特の錯覚さっかくであった。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
もう、駄目だめだとあきらめかけているうち、ひょッとしたら、さっき家で、蒲団を全部、ひろげてみなかったんじゃなかったか、という錯覚さっかくが、ふいに起りました。そうなると、また一も二もありません。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
私は町会長の義務ぎむを果して、博雄と二人だけでさんたんたる町を行くと、天地の間、私とこの孤児こじと二人のみがいるような錯覚さっかくをおぼえた。事実一瞬にして、世は孤立人のみの世界に変じたのである。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
という錯覚さっかくに負けてしまったんだよ。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
ふたりの消息は、依然としてなぞであった。求め得たものは、そういう偶然が起こさせる錯覚さっかくと、吉運をおびやかす疑惑、それだけである。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、本当のことを云うなら、気の毒なことに、リンドボーン大佐以下は、大きな錯覚さっかくをしていたのだった。
空襲葬送曲 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「常に弦之丞のことを念頭にえがいているため、その錯覚さっかくで、縁なき虚無僧までが、それらしく見える場合もない限りではない」
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「天井の高さは、ほんとうは三十メートル位しかないんです。しかし照明の力によって、上に大空があると同じような錯覚さっかくをおこすようになっているのですよ」
海底都市 (新字新仮名) / 海野十三(著)
と気がついたのは、すでにくうを一撃してからで、それを当の敵である前髪の飛躍と錯覚さっかくしてあわてたのは、彼ら自身も不覚を認めたらしく
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「居ないものは居ない。お前の臆病から起った錯覚さっかくだ! どこに光っている。どこに呻っている。……」
俘囚 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが、どうして、ジャーナリズムとは、少数なものを、そう大多数の如く錯覚さっかくさせるのだろう。稀少価値というものなのか。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どうかお読みになっているうちに、錯覚さっかくを起さないようにしていただきたいと、お願いして置く。さて——
間諜座事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
けれど、この男の見届けた事実に相違はなく、和田峠から追ってきた自分たちの眼が錯覚さっかくをおこしているのだとは、今にいたっても気がつかない。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、その結果はかえってよくなかった。僕はますます気が変のように見られ、しまいには自分自身でも、或いは僕は変になっているのじゃないかと錯覚さっかくを起こしたくらいだった。
鍵から抜け出した女 (新字新仮名) / 海野十三(著)
お延は牡丹色の返り血を浴びたので、自分が斬られたと錯覚さっかくしたのか、ふらふらと岩角の上へ横倒れになってしまった。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
完全で、正確この上なしの頭脳を持っている筈の鬼村博士はまことにつまらない、錯覚さっかくのために不慮ふりょの最後をげた。国際殺人団全体にその飛報が伝わると団員一同は色を失った。
国際殺人団の崩壊 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夫妻のもてなしにチヤホヤされて、権威のてまえ、ついいわざるをえない破目と錯覚さっかくにおちてしまった形であった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、全身がガタガタと震えだして、いくら腕をおさえつけても、むということなく、ついには、実験室全体が大地震おおじしんになったかのように、グラグラ振動をはじめたと錯覚さっかくをおこした。
振動魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
「幻ではないか」迷路の辻に立ち迷っているような気がして、何か自身の錯覚さっかくに、背すじを寒いものに襲われた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
或いは赤外線男といわれるものも、深山理学士の錯覚さっかくであって始めから赤外線男なんて、居ないのじゃないか。こんな風に、赤外線男に対する期待はずれを口にする人も少くはなかった。
赤外線男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そして、これは何か、人智をこころむ山の精のいたずらに出会っているのではないかという錯覚さっかくさえ起こしました。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相手の錯覚さっかくではないようだ。相手を幾人かえても、見えないときは矢張り見えないのであった。わたくしは恐怖に戦慄しながらも、なぜそうなるのであるかと、ひそかに好奇心を湧きあがらせた。
第四次元の男 (新字新仮名) / 海野十三(著)
たしかに、竹童ちくどう愛鷲あいしゅうクロのようだったが——見ちがいであったかしら? まぼろしであったかしら? ——と咲耶子さくやこはあとのしずかななかで錯覚さっかくにとらわれた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
檻の中から、整列している人造人間の部隊を見下ろしたところは、奇観きかんであった。なんだか人造人間の部隊のために、あべこべにわれわれが檻の中に閉じこめられてしまったような錯覚さっかくをおこした。
人造人間の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
中にまじっていた卜斎ぼくさいは、そういぶかしく思ったが、それをあやしむ彼自身じしんが、すでにみょう錯覚さっかくにとらわれて、疑心暗鬼ぎしんあんき眼底がんていにかくしていたことを知らなかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僕は、ひたすら錯覚さっかくの世界を追っていたのだ。
三重宙返りの記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
だが、奔牛の角に掛けられたと思ったのは、路傍の人たちの錯覚さっかくだった。ばん——と何か音がしたのは、下郎の平掌ひらてが、途端に牛の横面をつよくりつけたのだった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父の信長の偉大な声望と天質が、なお自分にもあるかのように、信雄はつねに錯覚さっかくをもっていた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その絶えだえながかすれ消えると一緒に、八方から集まった原士の影は、仲間の死骸をとり巻いて、無念そうに、不思議な編笠の出没にじらされ、かつ錯覚さっかくを起こし
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、過去、現在を通観してくると、世の中が人間意志だけでうごいて来たとおもうのは人間の錯覚さっかくで、実は、人間以外の宇宙の意志といったようなものも多分にある。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十幾通りの口伝くでんのあることや、それによって、鎖が蛇のからだのように自由な線を描き、鎌と鎖と、こもごもに使って、敵を完全なる錯覚さっかくの光線に縛りつけ、敵の防ぎをもって
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
からくも、前にはいった床下ゆかしたへきた。まさしく、蚕婆かいこばばあの家の下にちがいない。とちゅうの道がちがっているように思えたのも、さすれば、煙のための錯覚さっかくであったかもしれない。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足痕あしあと辿たどれ、足痕をけてゆけば逃げた先が分る」と、同心はやや暫くの間、根よく雪の上のくぼみを見歩いておりましたが、そのうちに、自分達の足痕にも錯覚さっかくを起こして
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、警吏やくにんと見たのは、まったく手下の錯覚さっかくで、事実は、如意ヶ岳の尾根を通って、これから朝陽あさひのでるころまでに峰へかかろうと隊伍を組んでゆく十人ほどの狩猟夫かりゅうどの連中だった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)