近村きんそん)” の例文
勘次かんじ利根川とねがは開鑿工事かいさくこうじつてた。あきころから土方どかた勸誘くわんいう大分だいぶうまはなしをされたので近村きんそんからも五六にん募集ぼしふおうじた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
正月三日はもとより雪道なれども十里廿里より来りて此うら佐に一宿し、此堂押だうおしあふ人もあれば近村きんそんはいふもさらなり。*11
ムロのおかみは近村きんそんの者である。夫婦はもと兄の家のムロに住んで居たので、今も「ムロ」さん/\と呼ばれて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
世話して足をとゞめ甚兵衞はおのが隱居所をかしつかはおけり其後平左衞門病死しあとは妻のお三とむすめなりお三は近村きんそん産婆とりあげ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
傳「宜しいたって、お前さんの様な人は近村きんそんに有りゃアしません、だからお前さんを見せたい、ちょっとう大めかしに着物も着替え、髪も綺麗にしてね」
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
かれかおは、いきおんで、になりました。田圃たんぼみちのあるところ、ないところ、かまわずにはしって、れついついてると、なんとこの近村きんそん学校がっこう子供こどもたちであったのであります。
丘の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
正月三日はもとより雪道なれども十里廿里より来りて此うら佐に一宿し、此堂押だうおしあふ人もあれば近村きんそんはいふもさらなり。*11
余の書窓しょそうから西にながむる甲斐かい山脈さんみゃくして緑色近村きんそんの松のこずえに、何時の程からか紅白染分そめわけの旗がひるがえった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
容子ようすかられば近村きんそんではあるが何處どことも確乎しかとはれない天秤商人てんびんあきうどからそれをもとめた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
一寸ちょっと顔出しをしたのだが、本家へ行ったらお内儀かみさんが泣いているし、誠にお愁傷でのう、惜しい旦那を殺した、えゝ此のくれえ物のわかったあんな名主は近村きんそんにねえい人だが、新吉
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
雪吹ふゞき其日のくれやみ次日つぎのひ晴天せいてんなりければ近村きんそんの者四五人此所をとほりかゝりしに、かの死骸しがい雪吹ふゞきうづめられて見えざれども赤子あかご啼声なくこゑを雪の中にきゝければ
間が悪い時は仕方のないもので、のお隅にぞっこん惚れて口説いてはじかれた、安田一角やすだいっかくという横曾根村の剣術家、みずから道場を建てゝ近村きんそんの人達が稽古に参る、腕前は鈍くも田舎者をおどかしている
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
○さてわが駅中えきちゆうに稲荷屋喜右エ門といふもの、石綿を紡績はうせきする事に千思せんしりよつひやし、つひみづからその術を得て火浣布を織いだせり。又其頃我が近村きんそん大沢村の医師黒田玄鶴げんくわくも同じく火浣布を織る術をたり。
○さてわが駅中えきちゆうに稲荷屋喜右エ門といふもの、石綿を紡績はうせきする事に千思せんしりよつひやし、つひみづからその術を得て火浣布を織いだせり。又其頃我が近村きんそん大沢村の医師黒田玄鶴げんくわくも同じく火浣布を織る術をたり。
五穀豊熟ごこくほうじゆくしてとしみつぎ心易こゝろやすさゝげ、諸民しよみん鼓腹はらつゞみの春にあひし時、氏神のまつりなどにあひしを幸に地芝居を興行こうぎやうする㕝あり。役者は皆其処の素人しろうとあるひは近村きんそんえきよりも来るなり。師匠ししやうは田舎芝居の役者やくしややとふ。