蒼々あおあお)” の例文
この土地のツンドラが、まだ今日のように発達しなかった以前には、これらのグイ松は蒼々あおあおと繁って、この平原を蔽っていたことであろう。
ツンドラへの旅 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
山岸の一方がふちになって蒼々あおあおたたえ、こちらは浅く瀬になっていますから、私どもはその瀬に立って糸を淵に投げ込んで釣るのでございます。
女難 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々あおあおと澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとくくれないなる桜のこずえをあざやかにしんいだしぬ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
ほりは深く、幅も広い。本能寺のそれとはちがって満々と水をたたえている。どこかに自然と湧水ゆうすいがあるとみえて、蒼々あおあおさざなみたてて澄んでいた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の視線の落ちた所、蒼々あおあおと澄んでいた水の面がモクモクモクモクと泡立つと見る間に牡丹の花弁はなびらさながらの、血汐がポッカリと浮かんで来た。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼女は、猫のようなしなやかさで動いてゆき、身を差し伸べるときには藻草のような髪が垂れ、それが岩礁の中で、果物の中の葉のように蒼々あおあおと見えた。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
空の蒼々あおあおしたのが、四辺あたり樹立こだちのまばらなのに透いて、瑠璃色るりいろの朝顔の、こずえらんで朝から咲き残った趣に見ゆるさえ、どうやら澄み切った夜のよう。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
屋根船はその間にいつか両国のにぎわいぎ過ぎて川面かわもせのやや薄暗い御蔵おくら水門すいもんそと差掛さしかかっていたのである。燈火の光に代って蒼々あおあおとした夏の夜の空には半輪はんりんの月。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
蒼々あおあおとして涼しい風の吹くたびに、さわさわと桑の葉が鳴って、胸を驚かしましたけれど、誰も来る気遣いはありませんから、日蔭の草の上にねころんでいました。
百合の花 (新字新仮名) / 小川未明(著)
くろずんだ土や、蒼々あおあおした水や広々した雑木林——関東平野を北へ北へとよこぎって行く汽車が、山へさしかかるに連れて、お島の心には、旅の哀愁が少しずつしみひろがって来た。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
真鍮しんちゅうの掛札に何々殿と書いた並等なみとうかまを、薄気味悪く左右に見て裏へ抜けると、広い空地あきちすみ松薪まつまきが山のように積んであった。周囲まわりには綺麗きれい孟宗藪もうそうやぶ蒼々あおあおと茂っていた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼は言いながら女給の手の指を視詰みつめた。蒼々あおあおしく痩せた細い魅力の無い指だった。
指と指環 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
私は不相変あいかわらず馬杉君と、甲板の籐椅子に腰をかけながら、そんな空想をたくましくした。海は昨日荒れた事も、もうけろりと忘れたように、蒼々あおあおなごんだ右舷の向うへ、済州島の影をよこたえている。
上海游記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
土壊つちくいで土地が沈み、太い門柱が門扉とびらをつけたままごろんと寝転ねころがっている。小瓦の上には、こけ蒼々あおあお。夏は飛蝗ばった蜻蛉とんぼ棲家すみかになろう、その苔の上に落葉が落ち積んで、どす黒く腐っている。
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
暖かい陽光をいっぱいに浴びた甲板のデッキ・チェアにこしを降ろして、蒼々あおあおいだ太平洋をみるともなくながめていますと、どやどやと下のケビンから十人ばかりの女子選手達があがって来ました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
幾つもの段々をおりると、そこに草のい茂った堤らしいものがあって、かなりな幅の川浪かわなみが漫々とたたえていた。その果てに夕陽に照り映える日本海が蒼々あおあおひろがっていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
広く行渉ゆきわたるばかりを望んで、途中で群消むらぎえになるような情を掛けずに、その恵の露をたたえて、ただ一つのものの根にそそいで、名もない草の一葉だけも、蒼々あおあおと活かして頂きたい。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかしその奥には蒼々あおあおとした、明るい希望そのもののような、晴天が約束されてある。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
またその正体の知れないところがすなわち他の婦人に見出しがたいあによめだけの特色であるようにも考えて見た。とにかく嫂の正体は全く解らないうちに、空が蒼々あおあおと晴れてしまった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
海は実にげるなり。近午の空は天心にいたるまで蒼々あおあおと晴れて雲なく、一碧いっぺきの海は所々しょしょれるように白く光りて、見渡す限り目に立つひだだにもなし。海も山も春日を浴びて悠々ゆうゆうとして眠れるなり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
瑪瑙めのうの橋のなごりだと言う、蒼々あおあおと淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古くちふるびたくいただ一つ、太く頭を出して、そのまわりに何のうおの影もなしに、かすかな波がさびしく巻く。
七宝の柱 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
片割れ月が蒼々あおあおと空に懸かっておりましたなれど、名に負う魔所の硫黄ヶ滝へ、かかる深夜に何者なれば集まりおるぞと不思議に思い、足音を忍ばせ近寄り行き木蔭よりうかがい見ましたところ……
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
浴客はまだ何処にも輻湊ふくそうしていなかったし、途々みちみち見える貸別荘の門なども大方はしまっていて、松が六月の陽炎ようえん蒼々あおあおと繁り、道ぞいの流れの向うに裾をひいている山には濃い青嵐せいらんけぶってみえた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「誰に似たか知らないけれど、この子は目が変だよ。ほかの子は一人もこんな目じゃなかったよ、みんな赤ん坊の時から蒼々あおあおした大きい目だったよ。この子の目だけは何だか雲がかかったようではっきりしないよ。おら何だか人間でないような気がするよ。」
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)