膳所ぜぜ)” の例文
と、彼は木連格子にりかかりながら、膳所ぜぜの色街でさんざいわれた——佐々木小次郎の忠言を今、心のうちで呼び返していた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二十五歳の若さで近江の膳所ぜぜ藩のおかかえになったほどの腕ききでしたが、明治の世の中になりましてから一時刀の道もすたれたものですから
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
琵琶湖はまたにほの海ともいひ、その名の如く琵琶に似て、瀬田せた膳所ぜぜ、大津などの湖尻から三里ばかり北に入つてゆく間は東西の幅も一里位のもので
湖光島影:琵琶湖めぐり (旧字旧仮名) / 近松秋江(著)
私が高取だといった茶入を、審判官は膳所ぜぜだといった。この名が、それの入っていた箱に書いてあったからである。
かれの本姓は戸田氏である、近江おうみのくに膳所ぜぜ藩の老臣戸田五左衛門の五男に生れ、三十歳のとき園城寺おんじょうじ家の有司ゆうし池田都維那の家に養嗣子ししとしてはいった。
日本婦道記:尾花川 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
淀川の水がれてしまって、何百万石かの田地が仕附かなくなる、それがために天領、大津、彦根、膳所ぜぜその他のお係りへ歎願に参ったそうでございます
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
これと前後して近江おうみ膳所ぜぜの城下でも鷲が武士の子をさらつた——此は馬に乗つて馬場に居たのをくらから引掴ひっつかんであがつたのであるが、此の時は湖水の上をさっした。
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
この句は洒堂しゃどうの『いちいおり』という集にあるので、洒堂が膳所ぜぜから難波へ居を移した記念のものである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
「唐崎の松は花よりおぼろにて」といふ芭蕉の句は、非常な駄作だといふ俳人達の意見が多いが、膳所ぜぜや石場あたりから、始終対岸の唐崎の松を見つけてゐる者でなければ
琵琶湖 (新字旧仮名) / 横光利一(著)
京都の夜汽車、嵯峨さがの月、膳所ぜぜに遊んだ時には湖水に夕日が美しく射渡って、旅館の中庭に、はぎが絵のように咲乱れていた。その二日の遊は実に夢のようであったと思った。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
膳所ぜぜの別荘は大変立派だそうですね」と言いますと、「あなたはまだでしたか、御所の御大典の材料を拝領したので茶室をつくりました、おひまの時はぜひ一度来てほしい」
十一月二十一日 大津義仲寺ぎちゅうじ無名庵に於ける芭蕉忌法要。膳所ぜぜ小学校に於ける俳句大会。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
当時、粟田口や逢坂越に兇悪無慙な剽盗がたむろしていて、昼でも一人旅はなりかねる時世だったが、泰文は蝦夷拵え柄曲えまげの一尺ばかりの腰刀を差し、伴も連れずに馬で膳所ぜぜの遊女宿へ通った。
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
関寺せきでら番内ばんない、坂本の小虎、音羽の石千代、膳所ぜぜ十六とおろく、鍵はずしの長丸、手ふいごのかぜ之助、穴掘の団八、繩辷なわすべりの猿松、窓くぐりのかる太夫、格子こぼち鉄伝てつでん、猫真似のやみ右衛門、穏松明たいまつの千吉
猿飛佐助 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
斯様こんな事を彼が妹なる妻に話す間に、小蒸汽は汽笛を鳴らしつゝ湖水を滑べって、何時見ても好い水から湧いて出た様な膳所ぜぜの城をかすめ、川となるべく流れ出したみずうみの水と共に鉄橋をくゞり
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その春挙氏も、この頃ではすつかりそんな遊びをして一週に一度京都絵画専門学校へ出て来る外は、おとなしく江州がうしう膳所ぜぜの別荘に引籠つて、石集めといふもの好きな道楽に憂身うきみやつしてゐる。
「父諱昶。字奎輔。以医仕膳所侯。娶才戸氏。生君于江戸鱸坊之僑居。」按ずるに慊堂日暦の蘅園は此ちやうである。昶は或は「とほる」と訓ませたものではなからうか。膳所ぜぜ侯は本多隠岐守康融やすとほである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
あかるくなった膳所ぜぜの辺では、蓮池はすいけを見かけて、われがちに蓮根れんこんをひきぬき、それを生でかじりかじり歩いたりした。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃は唐崎からさきの松も千年の緑を誇つてゐたのであらう。膳所ぜぜの城もその瓦甍影を水にひたしてゐたであらう。
湖光島影:琵琶湖めぐり (旧字旧仮名) / 近松秋江(著)
闇かと見ると、その行燈の消えた隙間から一面に白い水——みるみる漫々とひろがって、その岸には遠山の影をひたし、木立の向うに膳所ぜぜの城がかすかにそびえている。
膳所ぜぜの別荘は大変御立派ださうですねと云ひますと、あなたはまだでしたか、御所の御大典の材料を拝領したので茶室をつくりました、おひまの時は是非一度来てほしいと云はれて
旧い記憶を辿つて (新字旧仮名) / 上村松園(著)
宮川みやがわの西岸で、宇治山田とは橋一つ隔てているだけだとある。作者は膳所ぜぜの人だから、どれが一番適当かわからぬが、参宮のちなみを以て見れば、あるいは最後のそれを挙ぐべきであろうか。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
江州がうしう膳所ぜぜの別荘に籠つてゐる山元春挙氏が、石集めに余念もない事は、こなひだ書いた通りだ。その春挙氏がつい先き頃鳥打帽をかぶつて散歩に出た。そして石山をさしてすたすたと歩いて往つた。
膳所ぜぜ、瀬田、石山あたりは當時の青年時代のなつかしい記憶のあるところであり、好きな自然としては今でもあの江州がうしうの地方をその一つに思ひ出すくらゐであるが、それから三十年あまりこのかた
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
伴も連れずに馬で膳所ぜぜの遊女宿へ通った。
無月物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
そう言ったのは、膳所ぜぜの十六である。
猿飛佐助 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
膳所ぜぜを通られるか」と訊いた。
金五十両 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
和田呂宋兵衛わだるそんべえがさかよせをしてきたか、膳所ぜぜの城にある徳川方とくがわがたの武士がきたかと、身がまえをしていると、やがて、炬火きょか先駆せんくとなって、こまをとばしてきた一の武者。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三井、阪本、大津、膳所ぜぜ、瀬田の唐橋からはしと石山寺が、盆景の細工のように鮮かに点綴てんていされている。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
この作者は膳所ぜぜの人だから、必ずしも北国情景と見るに当らぬが
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
水口藩警固の間をそれて権田川原にたむろし、同勢みるみる加わって一万以上に達し、破竹の勢いで東海道を西上し石部の駅に達したが、膳所ぜぜ藩の警固隊を突破し三上村に殺到
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
膳所ぜぜは湖畔の長い町なので、フンドシ町という汚い俗称があったそうであるが、琵琶湖から瀬田川へかけて今でもポンポン蒸気の遊覧船が上下しているなど、まさに芭蕉の句も夢
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これよりさき、十四代将軍が上洛の時、膳所ぜぜと大津との間に待受けて、将軍を要撃しようとした浪士連がある。その時に、危うく発覚して事なきを得たが、その余類があれである。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そしてなお、川の中には、乱杭らんぐいを打込み、大綱を張りまわし、膳所ぜぜ供御くごのあたりまでは水も見えぬほどな流木りゅうぼくだった。すべて敵の渡河にたいする防禦であるのはいうまでもない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつかの“筆間茶話”に義仲と巴の抄を書いたとき、その原稿を手にすると、健吉さんはわざわざ大津市膳所ぜぜ町の義仲寺までスケッチに出かけ、そこからぼくの所へも絵手紙を便りして来た。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大切な手紙を取りおとしては、お師匠ししょうさまから、どんなおしかりをうけるか知れないと、かれはあわててわしをおろした。そこはうつくしい鳰鳥におどりの浮いている琵琶湖びわこのほとり、膳所ぜぜの松原のかげであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)