“膳所藩”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
ぜぜはん | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“膳所藩”の解説
膳所藩(ぜぜはん)は、近江国滋賀郡膳所の膳所城(現在の滋賀県大津市)に藩庁を置いた藩。
江戸時代初期には短期間で藩主家が交替したが、そのうちの本多家膳所藩主となった本多家は、戦国時代に三河国宝飯郡伊奈城の城主だった家(伊奈本多家、彦八郎家)で、膳所藩初代藩主となった本多康俊の名から康俊系本多家とも呼ばれる。康俊は伊奈本多家に養子に入った人物で、実父は酒井忠次(左衛門尉酒井家)であり、母方で松平清康(徳川家康の祖父)の血を引く。が1651年に再封され、以後廃藩置県まで藩主を務めた。京都への入口を押さえる役割を担い、歴代藩主家はいずれも譜代大名である。本多氏(再封)時代の石高は7万石で、これは近江国では彦根藩(井伊家)に次ぐ規模である。
(出典:Wikipedia)
江戸時代初期には短期間で藩主家が交替したが、そのうちの本多家膳所藩主となった本多家は、戦国時代に三河国宝飯郡伊奈城の城主だった家(伊奈本多家、彦八郎家)で、膳所藩初代藩主となった本多康俊の名から康俊系本多家とも呼ばれる。康俊は伊奈本多家に養子に入った人物で、実父は酒井忠次(左衛門尉酒井家)であり、母方で松平清康(徳川家康の祖父)の血を引く。が1651年に再封され、以後廃藩置県まで藩主を務めた。京都への入口を押さえる役割を担い、歴代藩主家はいずれも譜代大名である。本多氏(再封)時代の石高は7万石で、これは近江国では彦根藩(井伊家)に次ぐ規模である。
(出典:Wikipedia)