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うらが
ふりがな文庫
“
浦賀
(
うらが
)” の例文
尻屋
(
しりや
)
の燈台、
金華山
(
きんかざん
)
の燈台、
釜石
(
かまいし
)
沖、
犬吠
(
いぬぼう
)
沖、
勝浦
(
かつうら
)
沖、
観音崎
(
かんのんざき
)
、
浦賀
(
うらが
)
、と通って来た。そして今
本牧
(
ほんもく
)
沖を静かに
左舷
(
さげん
)
にながめて進んだ。
海に生くる人々
(新字新仮名)
/
葉山嘉樹
(著)
東海道
浦賀
(
うらが
)
の
宿
(
しゅく
)
、
久里
(
くり
)
が
浜
(
はま
)
の沖合いに、黒船のおびただしく現われたといううわさが伝わって来たのも、村ではこの雨乞いの最中である。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
いたずら好きなその心は、
嘉永
(
かえい
)
ごろの
浦賀
(
うらが
)
にでもあればありそうなこの
旅籠屋
(
はたごや
)
に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。
或る女:1(前編)
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
たしか
走水
(
はしりみず
)
という
所
(
ところ
)
は
浦賀
(
うらが
)
の
入江
(
いりえ
)
からさまで
遠
(
とお
)
くもない、
海
(
うみ
)
と
山
(
やま
)
との
迫
(
せ
)
り
合
(
あ
)
った
狭
(
せま
)
い
漁村
(
ぎょそん
)
で、そして
姫
(
ひめ
)
のお
祠
(
やしろ
)
は、その
村
(
むら
)
の
小高
(
こだか
)
い
崖
(
がけ
)
の
半腹
(
はんぷく
)
に
建
(
た
)
って
居
(
お
)
り
小桜姫物語:03 小桜姫物語
(新字新仮名)
/
浅野和三郎
(著)
二百十日の夜に
浦賀
(
うらが
)
の船番所の前を乗切る時、
莨
(
たばこ
)
の火を見られて、船が通ると感附かれて、木更津沖で追詰められて、到頭子分達は召捕りになりましたが
悪因縁の怨
(新字新仮名)
/
江見水蔭
(著)
▼ もっと見る
その年の六月ペリーの「黒船」が
浦賀
(
うらが
)
へはじめて来ているが、これはそれまで日本へ来たすべての米国船と同様に大西洋からインド洋を経てきたものである。
咸臨丸その他
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
年代にすると、黒船が
浦賀
(
うらが
)
の港を
擾
(
さわ
)
がせた
嘉永
(
かえい
)
の末年にでも当りますか——その母親の弟になる、
茂作
(
もさく
)
と云う八ツばかりの男の子が、重い
痲疹
(
はしか
)
に
罹
(
かか
)
りました。
黒衣聖母
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
その年
閏
(
うるう
)
五月五日、
咸臨丸
(
かんりんまる
)
は
無事
(
ぶじ
)
に
帰朝
(
きちょう
)
し、
艦
(
かん
)
の
浦賀
(
うらが
)
に
達
(
たっ
)
するや、予が家の
老僕
(
ろうぼく
)
迎
(
むかい
)
に
来
(
きた
)
りし時、先生
老僕
(
ろうぼく
)
に向い、
吾輩
(
わがはい
)
留守中
(
るすちゅう
)
江戸において何か
珍事
(
ちんじ
)
はなきやと。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
咸臨丸
(
かんりんまる
)
は、
万延
(
まんえん
)
元
(
がん
)
(一八六〇)
年
(
ねん
)
一
月
(
がつ
)
十九
日
(
にち
)
、
使節
(
しせつ
)
たちをのせた
船
(
ふね
)
よりも
一足
(
ひとあし
)
さきに
浦賀
(
うらが
)
を
船出
(
ふなで
)
しました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
砲声一発
浦賀
(
うらが
)
の夢を破ってという
冒頭
(
ぼうとう
)
であったから、三四郎はおもしろがって聞いていると、しまいにはドイツの哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ
解
(
げ
)
しにくくなった。
三四郎
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
四、五年は別に話もないが……私の生まれた翌年の六月に米国の使節ペルリが
浦賀
(
うらが
)
に来た。
幕末維新懐古談:02 私の子供の時のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
米艦が
浦賀
(
うらが
)
に
入
(
い
)
ったのは、二年
前
(
ぜん
)
の嘉永六年六月三日である。翌安政元年には正月に
艦
(
ふね
)
が再び浦賀に来て、六月に
下田
(
しもだ
)
を去るまで、江戸の
騒擾
(
そうじょう
)
は名状すべからざるものがあった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
發足せしが此六郎兵衞は
相州
(
さうしう
)
浦賀
(
うらが
)
に有徳の親類有ばとて案内し伊賀亮又兵衞と三人にて浦賀へ
立越
(
たちこえ
)
六郎兵衞の
勸
(
すゝめ
)
に因て江戸屋七左衞門
叶屋
(
かなふや
)
八右衞門
美作
(
みまさか
)
屋權七といふ三人の者より金子八百兩を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
わたしの研究は今
嘉永
(
かえい
)
の昔に
遡
(
さかのぼ
)
っている。アメリカ
東印度
(
ひがしインド
)
艦隊司令長官ペルリが四隻の軍艦を率いて
浦賀
(
うらが
)
に来航した当時に遡っている。この事件の裏にはそういう歴史的秘密が隠れているのです。
偉大なる夢
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
黒船渡来と
浦賀
(
うらが
)
の海防
並
(
ならび
)
に
異人
(
いじん
)
上陸接待の
状
(
じょう
)
を描ける三枚絵は
髷
(
まげ
)
と
髯
(
ひげ
)
との対照、
陣笠
(
じんがさ
)
陣羽織と帽子洋服との配列
寔
(
まこと
)
にこれ東西文化最初の接触たり。慶応義塾図書館にはこれらの錦絵を蔵する事多し。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
時は
浦賀
(
うらが
)
に黒船が迫り、
下関
(
しものせき
)
には砲声が響く直前の頃であった。幕府では沿岸警備のために、寺院の
釣鐘
(
つりがね
)
を運び、口を海に向けて並べていた。黒船から見た時に、大砲と見えるだろうというのである。
島津斉彬公
(新字新仮名)
/
中谷宇吉郎
(著)
彼が
浦賀
(
うらが
)
の
久里
(
くり
)
が
浜
(
はま
)
に到着したころは、ちょうどヨーロッパ勢力の東方に進出する十九世紀のなかばに当たる。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
そのまえの
年
(
とし
)
の六
月
(
がつ
)
に、アメリカから、ペリーが
軍艦
(
ぐんかん
)
四せきをひきいて
浦賀
(
うらが
)
(
神奈川県
(
かながわけん
)
)にやってきて
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
船は
勝浦
(
かつうら
)
沖を通った。
浦賀
(
うらが
)
沖を通った。やがて横浜港の明るい灯が見え初めるであろう。
海に生くる人々
(新字新仮名)
/
葉山嘉樹
(著)
『
桂川
(
けいせん
)
詩集』、『
遊相医話
(
ゆうそういわ
)
』などという、当時の著述を見たらわかるかも知れぬが、わたくしはまだ見るに及ばない。
寿蔵碑
(
じゅぞうひ
)
には、
浦賀
(
うらが
)
、
大磯
(
おおいそ
)
、
大山
(
おおやま
)
、
日向
(
ひなた
)
、
津久井
(
つくい
)
県の地名が挙げてある。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
枕山は金沢の酒亭に独酌し、
猿島横須
(
さるしまよこす
)
の景を見て
浦賀
(
うらが
)
に出た。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“浦賀”の解説
浦賀(うらが)は、神奈川県横須賀市東部にある地域。狭義には横須賀市浦賀またはそこに西浦賀町・東浦賀町を加えた区域、広義には浦賀行政センターの管轄(町村制による明治の大合併で誕生したかつての三浦郡浦賀町付近)を指す。マシュー・ペリーが黒船で来航した歴史をもつが、それ以前にも通商や補給を求めて外国船がしばしば来航していた。
(出典:Wikipedia)
浦
常用漢字
中学
部首:⽔
10画
賀
常用漢字
小4
部首:⾙
12画
“浦賀”で始まる語句
浦賀湾
浦賀表
浦賀郡
浦賀海峽
浦賀海峽地震