幕府ばくふ)” の例文
森山もりやまは、諭吉ゆきちのねっしんなたのみをきいてはくれましたが、幕府ばくふ仕事しごとがいそがしくて、おしえてくれる時間じかんがなかなかありません。
かね一ツうれぬ日はなし江戸の春とは幕府ばくふ盛世さかんなる大都會の樣をわづか十七文字につゞりたる古人の秀逸にして其町々の繁昌はことば
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
徳川三〇〇年の幕府ばくふが倒れて多くの大名だいみょうが、それぞれ国境を撤廃てっぱいしてめいめいが持っていたさむらいすなわち、軍隊をやめ
私の思い出 (新字新仮名) / 柳原白蓮(著)
わたくし生家さとでございますか——生家さと鎌倉かまくらにありました。ちち大江廣信おおえひろのぶ——代々だいだい鎌倉かまくら幕府ばくふつかへた家柄いえがらで、ちち矢張やはりそこにつとめてりました。
他日幕府の政權をかへせる、其事實に公の呈書ていしよもとづけり。當時幕府ばくふ既におとろへたりと雖、威權ゐけん未だ地にちず。公抗論かうろんしてまず、獨立の見ありと謂ふべし。
この大火のまち、深川にも、本所にも幕府ばくふの倉庫があり、商庫しようこもあつたことは、深川の河岸藏かしぐらには、米十萬七千俵、其他に、豆、麥、酒、油など莫大だつたと
花火と大川端 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
加之はしらも眞つ黒なら、畳も古い、「確に舊幕時代の遺物だ。」と思ツて周三は、づらり室を見廻して、「幕府ばくふ時代の遺物のうちに、幕府時代の遺民が舊い夢を見ながら、 ...
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
幕府ばくふ時代に使節が始めてヨーロッパへ派遣されたことがある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ところが、じゅくのある鉄砲洲てっぽうず奥平家おくだいらけのやしきは、外国人がいこくじんのすむところになるというので、幕府ばくふにとりあげられることになりました。
〔評〕幕府ばくふ南洲にわざはひせんと欲す。藩侯はんこう之をうれへ、南洲を大島おほしまざんす。南洲貶竄へんざんせらるゝこと前後數年なり、而て身益さかんに、氣益さかんに、讀書是より大に進むと云ふ。
そののち幾年いくねんって、おとこほうがあきらめて、何所どこからかつまむかえたときに、敦子あつこさまのほうでもれたらしく、とうとう両親りょうしんすすめにまかせて、幕府ばくふ出仕しゅししている
扨も檢使にはかゝり合の者一同召連めしつれて北の番所へ(幕府ばくふの頃は町奉行兩人有てみなみきたと二ヶ所に役宅やくたくあり)かへりしかば中山出雲守殿へ檢使の次第を言上いひあげ且夫々の口書を差出さしいだしけるに出雲守殿も長庵が佞辯ねいべん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そのため安政あんせい三(一八五六)ねんに、ハリスがアメリカの総領事そうりょうじとして、伊豆いず下田しもだ静岡県しずおかけん)へやってきて、幕府ばくふとこうしょうしました。
あげて文右衞門に申しかけし百兩のきん實は己れが盜み取て藤助妹へ遣はしたる始末等殘らず白状に及びしかば是に於て久兵衞は口書こうしよ爪印つめいん申付られけり是即ち幕府ばくふ規則きそくにして假令たとへ如何樣に證據物等之有これあり其者の惡事あくじ判然はんぜんたりとも當人の口より白状に及ばぬ中は爪印つめいん申付られぬ事なりされ斯樣かやうねん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)