寝起ねおき)” の例文
旧字:寢起
なかば開きし障子しょうじの外の縁先には帯しどけなき細面ほそおもての女金盥かなだらいに向ひて寝起ねおきの顔を洗はんとするさまなぞ、柔情にゅうじょう甚だ忘るべからざる心地ここちす。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
すると嬋娟あでやか盛粧せいそうしたお延が澄ましてそこに坐っていた。津田ははっと思った。寝起ねおきの顔へ水をかけられたような夫の様子に満足したらしい彼女は微笑をらした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その頃は兵さんも、もう一廉ひとかどの若者になっていた。牛や馬と同様に納屋の天井裏に、鼠と一緒に寝起ねおきしてはき使われながらも、兵さんは二十前後のちゃんとした若者であった。
あまり者 (新字新仮名) / 徳永直(著)
滿谷の今朝けさ寝起ねおき姿を見ると僕も「この人はおれの父親おやぢだ」と一寸ちよつと言つて見たく成つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
病気がなおるとも癒らぬともきまらずに、長いあいだ生家さとへ帰っている若い妻の身のうえを、ひとりで案じわずろうているこの主人の寝起ねおきの世話を、お島はこの頃自分ですることにしていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
滝太郎とささやき合い、かかることにれてしのびの術を得たるごとき両個の人物は、ものおもうお雪が寝起ねおきの目にも留まらず、垣をくぐって外へ出ると、まだ閉切ってある、荒物屋の小店の、くすぶった
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
日々鸚鵡を話相手同様にして其の日/\を送って居りましたが、何分にも島には虫が多く居りまして、少しも火を絶やすことが出来ませぬ、昼夜とも焚火をして其の側に寝起ねおきして居りまする。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
(きっと、あの祠に寝起ねおきしている男にちがいない)
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そうして毎日夫と寝起ねおきを共にしていながら、つい心にもとめず、今日まで見過ごしてきた窮屈というものが、彼女にとって存外重い負担であったのに驚ろかされた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
竜子は十七になった今日でも母の乳を飲んでいたころと同じように土蔵につづいた八畳のに母と寝起ねおきを共にしている。こと三味線さみせん生花いけばな茶の湯の稽古けいこも長年母と一緒である。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東北なまりのその子供は、おゆうには二人とも嫌われたが、お島には能くなついた。お島は暇さえあると、髪を結ったり、リボンをかけてやったり、寝起ねおきや入浴や食事の世話に骨惜みをしなかった。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
成程なるほどきにいたうへにも、寝起ねおきにこんな自由じいうなのはめづらしいとおもつた。せき片側かたがはへ十五ぐらゐ一杯いつぱいしきつた、たゞ両側りやうがはつてて、ながらだと楽々らく/\ひぢけられる。脇息けふそくさまがある。
銀鼎 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
お延の自覚から云えば、一つ家に寝起ねおきを共にしている長い間に、自分の優越を示す浮誇ふこの心から、柔軟性じゅうなんせいに富んだこの従妹いとこを、いつの間にかそう育て上げてしまったのである。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もしこれが自分のうちであったら、見知らぬ人に寝起ねおきのままの乱れた髪や汚れた顔を見せずとも済むものを、宿屋に泊る是非なさは、皺だらけになった寝衣ねまきに細いシゴキを締めたままで
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
此の五日いつか六日むいか心持こころもちわずらはしければとて、客にもはず、二階の一室ひとまに籠りツきり、で、寝起ねおきひまには、裏庭の松のこずえ高き、城のもの見のやうな窓から、雲と水色の空とをながら、徒然つれづれにさしまねいて
印度更紗 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
たまの日曜ですら寝起ねおきの悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうして客でもあると、献酬けんしゅうの間によくそれを臨機応変に運用した。多年父のそば寝起ねおきしている自分にもこの女景清おんなかげきよの逸話は始めてであった。自分は思わず耳を傾けて父の顔を見た。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
小六は何不足なく叔父の家に寝起ねおきしていた。試験を受けて高等学校へ這入はいれれば、寄宿へ入舎しなければならないと云うので、その相談まですでに叔父と打合せがしてあるようであった。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
無論長屋住居ながやずまいの貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起ねおきする所も、屋根に一枚のかわらさえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕がくぼくと幹事をぜて十人ばかり寄宿していた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)