室町むろまち)” の例文
年表には「東風にて西神田町一圓に類燒し、又北風になりて、本銀町ほんしろかねちやう本町ほんちやう石町こくちやう駿河町するがちやう室町むろまちの邊に至り、夜下刻げこくしづまる」
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
家は、室町むろまち幕府の名門であったし、歌学の造詣ぞうけいふかく、故実こじつ典礼てんれいに詳しいことは、新興勢力の武人のなかでは、この人をいて他にない。
で、登る三枚目とは室町むろまちの方から渡って三枚目の橋板を差すのである。時たま、橋の修繕の際、この橋板は皆が争って得たがったものです。
室町むろまちから東京駅行きのバスに乗ったら、いつものように呉服橋ごふくばしを渡らずにほりばたに沿うて東京駅東口のほうへぶらりぶらりと運転して行く。
破片 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
当時の日本の内状は如何いかんというに、室町むろまち将軍の末路で、諸将兵を相率いて交戦に暇なく、人民寧日ねいじつなしといういわゆる群雄割拠の時代であった。
中世というのは鎌倉時代・吉野時代・室町むろまち時代そして安土桃山あづちももやま時代の始まるまでを包括して便宜的に使った名称である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
または日本橋辺で室町むろまち御宅おたく、小網町の旦那というように親類を呼ぶごとく、個々の別宅に何か名をつけておかなくてはならぬようになったのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
夜が明けて十九日となると、景蔵は西の蛤御門はまぐりごもん中立売御門なかだちうりごもんの方面にわくような砲声を聞き、やがて室町むろまち付近より洛中に延焼した火災の囲みの中にいたとある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
鎌倉時代、室町むろまちのころにかけては、さびと渋味を加味し、前代末の、無情を観じた風情ふぜいをも残し、武家跋扈ばっこより来る、女性の、深き執着と、あきらめをふくんでいる。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
公儀御用の御筆師ふでし室町むろまち三丁目の「小法師甲斐こぼうしかい」は、日本橋一丁目の福用ふくもち常盤橋ときわばし速水はやみと相並んで繁昌しましたが、わけても小法師甲斐は室町の五分の一を持っているという家主で
ここは京の室町むろまちで、これを南へって行けば、今出いまで川の通りへ出る。そこを今度は東へ参る。すると北小路こうじの通りへ出る。それを出はずれると管領かんりょうヶ原で、その原の一所に館がござる。
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そう云えば薬師寺弾正と云う男は、管領畠山氏の家人けにんではあるが、その父の代から主人畠山氏をしのぐ勢いがあり、時には陪臣ばいしんの身を以て室町むろまち将軍の意志をさえ左右する権力者であった。
芸題は『大経師だいきょうじ昔暦むかしごよみ』と云って、京の人々の、記憶にはまだ新しい室町むろまち通の大経師の女房おさんが、手代てだい茂右衛門もえもんと不義をして、粟田口あわたぐちに刑死するまでの、のろわれた命懸けの恋の狂言であった。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
室町むろまち三丁目番小屋の前にわすれ置たる由おのれぬすんだか但しは同類どうるゐの手から請取たかとたゞさるゝに盜賊は空嘯そらうそぶいて一向存じ申さず殊に那者あのものは見た事もなき人なりと云九助は大いに急立せきたち全くあの者が草鞋わらぢ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
橋を渡り越えて室町むろまちのあたりまで来た時に、彼は小声で呼びかけた。
半七捕物帳:69 白蝶怪 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
「すると監督さんは、この青い土は、全く珍しい土で、東京附近でも、この日本橋の地底だけにしか無い土だ。その日本橋も、日本銀行や三越や三井銀行のある室町むろまち附近にかぎって出てくる特有の土だといった。この青い土が、それなんだよ」
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そして室町むろまち達見たつみへ寄って、お上さんに下女を取り替えることを頼んだ。お上さんはちんの頭をさすりながら、笑ってこう云った。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
気が付いたら室町むろまちの三越の横を走っていたので、それではじめてあらゆる幻覚は一度に消えてしまって単調な日常生活の現実がよみがえって来た。
初冬の日記から (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
これは、この国だけの、地侍じざむらいの風儀ではない。公卿くげもそう。室町むろまち公方くぼうの武家たちもそう。総じてその頃の酒席の風だった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はてな」の室町むろまち附近
地中魔 (新字新仮名) / 海野十三(著)
関白氏長者かんぱくうじのちょうじゃともある重臣が、軽々しく諸州を歩き、武将の陣門を出入りするので、室町むろまち幕府からも妙な眼で見られたらしい。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
がらがらと音がして、汽車が紫川むらさきがわの鉄道橋を渡ると、間もなく小倉の停車場に着く。参謀長を始め、大勢の出迎人がある。一同にそこそこに挨拶をして、室町むろまち達見たつみという宿屋にはいった。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
よく晴れた秋の日の午後室町むろまち三越前で電車を待っていた。
異質触媒作用 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
室町むろまち末の人々にうたい飽かれた歌が、この尾張あたりへ伝って来て、農家の娘の糸繰いとくり歌などになまってよくうたわれている。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六条室町むろまちの町中とは思えぬほど、やかたは木々に囲まれている。照り映える青葉の色と匂いに室内も染りそうだった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
室町むろまち将軍の目付役めつけやくともなって、そこの人出入りや市中の出来事など、つぶさに書きとめておいたのであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
民衆の信頼を裏切った司権者しけんしゃはいくらもあり、すでに前室町むろまち政治のごときもそれだったが、さりとて民衆は、政治そのものをいやしめたり疑ったりはしなかった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幽斎ゆうさい細川藤孝といえば、旧室町むろまち出の幕府人では、出色しゅっしょくのひとりである。その歌才はかくれなく、学問識徳兼備の文化人として、その友、明智光秀と並び称されている。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足利方で立てた光明院の朝廷は、さきごろ、おし小路こうじ室町むろまちの一劃を、里内裏さとだいりとさだめられた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では。お耳に入れるが、実は、この身には、将軍家義昭よしあき公の親書と、室町むろまち家の名族、細川藤孝ほそかわふじたかどのの書面とを帯びております。——いずれも、信長様へお宛てなされたものです」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堀川べりの六条室町むろまちやかたへ、どっとせて、いきなり火をけた軍勢がある。義経は、元より何の備えもしていなかったし、その夜、郎党たちは、他の所用に出払って、あらかた留守だった。
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
惣門そうもん前通りから四条の方へ寄った往来は、所司代の第宅ていたくもあり、武家の小路もあり、町も整って、都らしくなるが、北側の錦小路にしきこうじあたりは、今なお整理されない貧民窟ひんみんくつが、室町むろまちの世頃をそのまま
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
室町むろまち以来、一戦また一戦あるごとに、おびただしい不純が純の中へ割りこんで来て農村の姿を殺伐化さつばつかしたが、そのすさびきった時流の底にも、古来からの農は、依然粗壁あらかべの中に貧しい燈を細々ととぼして
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「情勢は相かわらずです。ただこのところ、信玄入京のあてがはずれたため、室町むろまちのおやかたは、失望のいろ濃く見えますが、公方家くぼうけの依然たる策謀は、いよいよ露骨で、あくまで信長ぎらいで一貫しておりまする」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
室町むろまち期以前の古態がなおどこかに残っていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)