公家くげ)” の例文
京都公家くげの官僚なる大江広元の輩までが、鎌倉に下ってその東夷あずまえびす家人けにんとなった。ここに至っては彼らはもはや決して賤民ではない。
「おれどもは公家くげの番犬になるため戦ったのではあるまい。こんなことなら、いっそ昨日の北条天下のほうが、まだましだわ!」
かつて上層階級であった公家くげの階級は、昔ながらの官位と儀式と習俗とを保持しながらも、もはや力なき形骸に過ぎなかった。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
さりとて、わしはこの通りの所労じゃ。頼長が兄に代って何かの切りりをするも是非があるまい。余の公家くげばらは彼の鼻息を
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
公家くげ・武家の生活はしばしば政治の表面にあらわれ、歴史として後世に伝わっていることが多いが、それでもまだ幾つもの想像し難い部分がある。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この時代は平安時代の伝統を承け継いで、全く京都の宮廷を中心にした公家くげの間に和歌の伝統が流れる時代である。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
公家くげさん、学者、大商人おおあきんどといったところの紙屑を捨値で買い込んで、これを拾いわけてうまく売り出しやしょう。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
高家というのは例の吉良上野介のような役目で、公家くげと武家との間に立って両者の交渉をつかさどる職務であるところから、自然賄賂わいろを受ける機会も多くなる。
俳句の作りよう (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
そして京都中の「専門家」といふ階級を代表して、お公家くげ様に直訴でもしたやうな興奮した気持になつた。
藤原のお流れは、公家くげ摂籙せふらくの家柄、中臣の筋は、神事にお仕へする、かう言ふ風にはつきりと分ちがついてまゐりました。ぢやが、今は今昔は昔で御座ります。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
七百年来も武事に関しないお公家くげさまが朝廷に勢力を占めたところで、所詮しょせん永続ながつづきはおぼつかない。きっと薩摩さつまと長州が戦功を争って、不和を生ずる時が来る。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
えいじける故流石さすが公家くげ侍士さふらひ感心しこし墨斗やたてを取出し今一度ぎんじ聞せよと云に女は恥らひし體にて口籠くちごもるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ところがあまた公家くげたちの歌よみの中で私のがいちばんすぐれているとて天皇のお気に召したのだよ。そして御褒美ごほうびをばいただいた。私は恐縮してさがろうとした。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その日の焼亡はまことに前代未聞の沙汰さたで、しもは二条よりかみ御霊ごりょうつじまで、西は大舎人おおとねりより東は室町小路をさかいにおおよそ百町あまり、公家くげ武家のやしきをはじめ合せて三万余宇が
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
『油かす』寛永二十年編云々「公家くげと武家とはふたかしらなり」「なべとりをかぶとの脇に飾りつけ」前句に二頭ふたかしらとあれば、かぶり物を二つ取り合せ、武家冑、老懸公家と附けたるなり。
然るに公家くげ一味の者の外は、空しく恩賞の不公正を恨み、本国に帰って行く。かかる際にも不拘かかわらず、大内裏の造営は企劃され、諸国の地頭に二十分の一の得分をその費用として割当てて居る。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
朝子さんの里は京都の或る公家くげなのだ。
また、こうした新政府の閣僚たちであってみれば、天下は公家くげ一統に帰す、としているその気負いと、諸政革新の急鋒にまかせて、ここに
ただしこれは和尚ではなくて、よしある京都の公家くげという触込ふれこみで、遠州路から山坂を越えて、この村に遣ってきて泊った。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
割に楽しい現実生活を営んで来た教養ある中堅どころの公家くげの中に、割にあきらめの良い、粘りの足りない子弟が多くて、世相のはげしさをうとましく思い
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
「だが、ここになお一つの勢力、お公家くげさんにもエライのがいるぞ、中山卿だの、三条殿、死んだ姉小路——岩倉——大名ばかりを見ていては見る目がかたよるぞ」
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
参政寄人よりうどというような新しいお公家くげ様の政事団体もできたし、どんな草深いところから出て来た野人でも、学習院へ行きさえすれば時事を建白することができる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その頃、公家くげのお姫様が女郎じょろうになったというのですから、みんな不思議がったに相違ありません。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すると公家くげの中の一人がかような歌をよむからにはお前は恋をしたのに相違ない。恋をした者でなくてはわからぬ気持ちだ。どうだ恋をした事があるだろうときくのだ。
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
(おそろしく近代的なお公家くげさまで、歌よみを優遇するよりも、いぢめることを知つてゐる。)
或る公家くげから東夷あずまえびすと呼ばれても、実力のあるところに天下の権は帰する。ここに於いてさらにその頼朝の家人けにんたる北条・梶原・畠山等の輩は、一躍して大名になってしまった。
その日の焼亡はまことに前代未聞の沙汰さたで、しもは二条よりかみ御霊ごりょうつじまで、西は大舎人おおとねりより東は室町小路をさかいにおほよそ百町あまり、公家くげ武家のやしきをはじめ合せて三万余宇が
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
それに仕えているのが公家くげで、頗る貪欲である。諸侯の間の争議の調停などをやると、多額の金を受ける。そういう政治的支配者の衰微した状態に比べると、宗教的支配者の力は非常に強い。
鎖国:日本の悲劇 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
(一) 建武中興に参加した武士の中には、自己の利害関係や、恩賞目当に行動した者が大部分であつたこと、従つて、之等の武士は公家くげ勢力の再興を欣ばず、公家と武家とがすこぶる不和であつたこと。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
来年あたりは公家くげなどにも成らるべく見および候。左候ふて後、高ころびに、あふのけに転ばれ候ずると見申し候。藤吉、さりとはの者にて候。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いずれも絵にかいたお公家くげさまのような、ここらではかつて見たこともない優美な若い男たちであったので、おつぎも暫くは夢のような心持で、その顔を見つめていた。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
是が中世以前の京都上流の間にも行われた婚姻方式であったことは、『源氏物語』その他の文学に明らかに現われているだけでなく、歴世の公家くげの日記にもよく見えている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
上方へ行きて公家くげの侍にでもなる方がよかろうと思いて、或る晩、単物、帯も畳んで寝所に置いて、襦袢を着て、そのうちを逃げ出し、安倍川の向うの地蔵堂にその晩は寝たが
むかし公家くげなにがしが死にかゝつてゐると、不断顔昵懇かほなじみの坊さんが出て来て(医者が来るのが遅過ぎる時には、きつと坊主が来るのが早過ぎるものなのだ)枕頭まくらもと珠数じゆずをさらさら言はせながら
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
なにしろ公家くげの御子息——
出家とその弟子 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
禁裡の諸門をめぐる公家くげたちの、常にはひっそりしている第宅ていたくの地域ですら、忽ちさまざまな物音や人声が騒然と起った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実をいえば、さっき河原で玉藻に別れるときに、女はそこへ来あわせた若い公家くげの手前を憚って、口ではなんにも言わなかったが、その美しい眼が明らかに語っていた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
守る京極きょうごく勢は一たまりもなく責め落され、この日の兵火に三宝院の西は近衛このえ殿より鷹司たかつかさ殿、浄華院、日野殿、東は花山院殿、広橋殿、西園寺さいおんじ殿、転法輪てんぽうりん、三条殿をはじめ、公家くげのお屋敷三十七
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
公家くげの大邸は、例外なく新築され、かぎられた大藩の武門でも、負けずに普請ふしんへかかっているが、さもない不平武士の大衆には、虚無的なやけ酒があるだけだった。
ととさまに習うたけれど、わたしも不器用な生まれで、ようは詠まれぬ。はて、詠まれいでも大事ない。歌など詠んで面白そうに暮らすのは、上臈じょうろう公家くげ殿上人てんじょうびとのすることじゃ」
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かみこのようななされ方ゆえ、したがっては公家くげ武家の末々までひたすらに驕侈きょうしにふけり、天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、人はともあれ我身さえ富貴ふうきならば、他より一段栄耀えように振舞わんと
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
近くの公家くげやしきの門を叩き、ありあう牛車ぐるまを曳き出してそれへおすすめ申しあげ、無我夢中で禁門のあたりまで牛を打っていそいだが……あとで思うと、いかに非常の中といえ
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いや、まだ怪しからねえのは、そいつが京都の公家くげの娘だと云っているそうだ。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
かみこのやうななされ方ゆゑ、したがつては公家くげ武家の末々までひたすらに驕侈きょうしにふけり、天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ、人はともあれ我身さへ富貴ふうきならば、他より一段栄耀えように振舞はんと
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
公家くげという地主や、武家天下の地頭制の地割りなども一定された今では、かつての如き、土地の斬り取り強盗もできないところから、自然、世路せいろに充満していて、叡山えいざんみたいな法城にすら
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鴉のように黒い髪をこのごろ流行る茶屋辻模様の練絹ねりぎぬの小袖の肩にこぼしている姿は、然るべき公家くげか、武家の息女か、おそらく世に時めく武家の愛娘まなむすめであろうと、兼好はひそかに判断した。
小坂部姫 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そちは軍事から政治向きまで、弟直義にゆだねて、多くは自身あずからぬようにいうたが、そちの約定やくじょうによれば、天下の成敗は公家くげにまかせまいらさん——と、明記しておる。その儀と、矛盾むじゅんはせぬか
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
公家くげまかまゐ
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)