“やた”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ヤタ
語句割合
八咫23.5%
八田17.6%
弥太17.6%
乾秣11.8%
矢太5.9%
八尺5.9%
家建5.9%
彌太5.9%
矢立5.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
八尺(やさか)の曲玉(まがたま)という、それはそれはごりっぱなお首飾(くびかざ)りの玉と、八咫(やた)の鏡(かがみ)という神々(こうごう)しいお鏡と、かねて須佐之男命(すさのおのみこと)が大じゃの尾の中からお拾いになった、鋭い御剣(みつるぎ)と
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
四首はどういう時の御作か、仁徳天皇の後妃八田(やた)皇女との三角関係が伝えられているから、感情の強く豊かな御方であらせられたのであろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
夫 (小説を声高に読みはじめる)「芳町(よしちやう)で幅の利く顔役、弥太(やた)五郎(らう)源(げん)七が出先から子分に持たせてよこした手紙を見た女房おげんの顔の色がさつと変り……」
世帯休業 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
お定は馬に乾秣(やた)を刻(き)つて塩水に掻廻して与(や)つて、一担ぎ水を汲んで来てから夕餉の膳に坐つたが、無暗に気がそは/\してゐて、麦八分の飯を二膳とは喰べなかつた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
大丈夫(だいぢやうぶ)、往復(わうふく)の分(ぶん)と、中二日(なかふつか)、何處(どこ)かで一杯(いつぱい)飮(の)めるだけ。……宿(やど)は何(ど)うせ矢太(やた)さんの高等御下宿(かうとうおんげしゆく)にお世話樣(せわさま)に成(な)るんでせう。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
お前(まへ)さん、お正月(しやうぐわつ)から唄(うた)に謠(うた)つて居(ゐ)るんぢやありませんか。——一層(いつそ)一思(ひとおも)ひに大阪(おほさか)へ行(い)つて、矢太(やた)さんや、源太(げんた)さんに逢(あ)つて、我儘(わがまゝ)を言(い)つていらつしやいな。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
上枝(ほつえ)に八尺の勾璁の五百津の御統の玉を取り著(つ)け、中つ枝に八尺(やた)の鏡を取り繋(か)け、下枝(しづえ)に白和幣(しろにぎて)青和幣(あをにぎて)を取り垂(し)でて一五、この種種(くさぐさ)の物は、布刀玉の命太御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて
今でもわざわざ家建(やた)てケンズイなどといっている地方があるのを見てもわかる。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
糺(たゞ)すは誠に歎(なげか)は敷(しき)事なりと種々(いろ/\)利解(りかい)有(あつ)て下(さげ)られけれども双方(さうはう)得心(とくしん)なければ是非なく吟味(ぎんみ)とぞなりにける頃(ころ)は享保(きやうほ)十二年十月双方(さうはう)惣(そう)呼出(よびだ)しの人々には白子屋庄三郎並(ならび)に妻(つま)常(つね)娘(むすめ)熊(くま)番頭(ばんとう)忠(ちう)八下男(げなん)長助(ちやうすけ)下女(げぢよ)久(ひさ)同菊(きく)聟(むこ)又(また)七大傳馬町(おほでんまちやう)居付(ゐつき)地主(ぢぬし)彌太(やた)郎加賀屋長兵衞等(かがやちやうべゑとう)なり此砌(このみぎり)髮結(かみゆひ)清(せい)三郎は出奔(しゆつぽん)して行方(ゆくへ)知れず大岡殿彌太郎に向は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ふたつ折りの紙をひらくと、さらさらと矢立(やた)てを走らせたらしい墨のあと。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)