高麗こうらい)” の例文
あるいは宋代明代のものを、あるいは高麗こうらい李朝のものを、あるいは足利あしかがあるいは徳川期のものを、あるいは西洋ここ数世紀のものを。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
新羅しんら百済はくさい高麗こうらいに逃げたいと夢のようなことをいえば、いや雲の果て、地の果て、海の彼方に行きたいと叫び出す者もいる。
本格的な支那しな高麗こうらい楽よりもあずま遊びの音楽のほうがこんな時にはぴったりと、人の心にも波の音にも合っているようであった。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
倭寇わこう八幡船ばはんせん胡蝶軍こちょうぐん、名こそ様々に呼ばれてはおれ、支那シナ高麗こうらいに押し寄せて、武威を揮う大船隊、その船隊の頭領として
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
蕪村かつて大高源吾より伝わる高麗こうらいの茶碗というをもらいたるを、それも咸陽宮の釘隠しの類なりとて人にやりしことあり。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
ひだりの一本腕の下に、こけ猿の包みをかかえた左膳、やがて、月を踏んで帰り着いたのは、駒形の高麗こうらいやしき——尺取り横町のお藤の家だ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「汝のような者が、信長の統業下にあることは、世間のうたがい、物笑い、日本にとどまらず、明国みんこく高麗こうらい天竺てんじく南蛮なんばんまでの恥さらしである」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
高麗こうらい文化を伝える二十歳の歌の名手に絶望を与えた神戸に、何がいったいあったのだろうと、矢代はそのとき考えた。
旅愁 (新字新仮名) / 横光利一(著)
が、額の下の高麗こうらいべりの畳の隅に、人形のようになって坐睡いねむりをしていた、十四になるはかま巫女みこを、いきなり、引立てて、袴を脱がせ、きぬいだ。
茸の舞姫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
高麗こうらい唐土もろこし暹羅シャム国、カンボジャ、スマトラ、安南あんなん天竺てんじく、世界ははて無く広がって居りまする。ここの世界が癪に触るとて、癪に触らぬ世界もござろう。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
元禄元年には、実に唐船百十七艘、高麗こうらい船三十三艘、蘭船三艘である。過去の徳川時代において、唐船が長崎に来たのは、貞享元禄のころを最も多い時とする。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
一度高麗こうらいの奴に盗み出されたことがあったが、それは神剣の威光で無事戻って来たという奇蹟もある。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
久世太郎右衛門殿物語くぜたろうえもんどのものがたりに、前方此男出でけるに、腰に何やらん附けて居る故、或者あるもの近く寄りてそれを取り、還りて見れば高麗こうらい茶碗ちゃわんなり。今に其子の方に持伝へておりける由。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
高麗こうらい橋通りにかかった筋違すじかい橋のたもとから四ツ橋まで、西横堀川に添うた十五町ほどの間は、ほとんど軒並みに瀬戸物屋で、私の奉公した家は、平野町通りから二三軒南へはいった西側の
アド・バルーン (新字新仮名) / 織田作之助(著)
亥太郎さんが此品これを持っていると云うのは不思議でございますな、この煙草入たばこいれは皮は高麗こうらい青皮せいひ趙雲ちょううん円金物まるがなもの後藤宗乘ごとうそうじょうの作、緒締おじめ根附ねつけはちぎれて有りませんが、これは不思議な品で
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
再び芝居町の名物高麗こうらいせんべいの店先みせさき(第七図)に花菱はなびしの看板人目を引き
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
またはあの高麗こうらいの人々は、彼らの美しい「雲鶴」や「絵高麗」に、作者の名を記したろうか。美に浸り得た時代は美を忘れていたであろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
蕪村かつて大高源吾おおたかげんごより伝はる高麗こうらいの茶碗といふをもらひたるを、それも咸陽宮の釘隠しの類なりとて人にやりし事あり。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
渤海奇毒きどくの書、唐朝官家に達す。なんじ高麗こうらいを占領せしより、吾国の近辺に迫り、兵しばしばさかいを犯す。おもうに官家の意に出でむ。われ如今じょこんうべからず。
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
行幸の日は親王方も公卿くぎょうもあるだけの人が帝の供奉ぐぶをした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池をぎまわり、唐の曲も高麗こうらいの曲も舞われて盛んな宴賀えんがだった。
源氏物語:07 紅葉賀 (新字新仮名) / 紫式部(著)
左右に柱、向って三方を廻廊下まわりろうかのごとく余して、一面に高く高麗こうらいべりの畳を敷く。くれないの鼓の緒、処々に蝶結びして一条ひとすじ、これを欄干のごとく取りまわして柱に渡す。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
血管のなかにはまだ夜来の酒気もそのままかおっているかのような夢中と現身うつしみの境に、彼の脳裡のうりには、南方の島々や高麗こうらいの沿海や、ゆくてに大明国だいみんこくをさしている大船列や
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まがれば高麗こうらい屋敷。町家が混んでいて露地抜け道はあやのよう——消えるにはもってこいだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
中部地方では木曾・信濃二川の流域、京都附近にも飛び飛びに痕跡がある。九州はだいたいにトウガラシをコショウという地域であり、その南部にはコウレエグス、すなわち高麗こうらい胡椒の名がある。
食料名彙 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
皇麞こうじょうなどが舞われ、日の暮れ時に高麗こうらい楽の乱声らんじょうがあって、また続いて落蹲らくそんの舞われたのも目れず珍らしい見物であったが、終わりに近づいた時に、権中納言と
源氏物語:34 若菜(上) (新字新仮名) / 紫式部(著)
秀吉なども、もし、十六、七歳の頃に、その方どもと巡り会うていたら、かならず汝らの手下に属して、南海西蛮せいばん大明だいみん高麗こうらい、ひとわたりはぜひ見物しておいたろうに、残念に思う。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし浦添うらそえ城址じょうしから見出される瓦等にも高麗こうらいの工匠が作ったということが記してあるから、朝鮮との交渉は遥かに古くさかのぼるのであろう。今の琉球の赤瓦の屋根は、朝鮮風な所が著しく見える。
現在の日本民窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
高麗こうらい支那しなと渡り歩いて家族も何も顧みない者になってしまうのも狂的だから、それほどはしないでも、この芸がどんなものであるかを知りうるだけのことを私はしたいと思って
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
高麗こうらい大明だいみんはおろか、安南アンナン柬埔寨カンボジヤ婆羅納ブルネオ暹羅シャム高砂たかさご呂宋ルソン爪哇ジャバ満剌加マラッカはいうに及ばず、遠くは奥南蛮おくなんばんから喜望峰きぼうほうみさきをめぐり、大西洋へ出て、西班牙スペイン葡萄牙ポルトガル羅馬ローマ、どこへでも
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)