陪臣ばいしん)” の例文
「恐れ……恐多おそれおおい事——うけたまわりまするも恐多い。陪臣ばいしんぶんつかまつつて、御先祖様お名をかたります如き、血反吐ちへどいて即死をします。」
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
また管仲かんちゅうは、斉の桓公かんこうをたすけて諸侯を糾合きゅうごうしましたが、その身は陪臣ばいしんでありながら、その富は列国の君主にまさっておりました。
日ごろの陪臣ばいしん意識が、ふと、よみがえると、やがて一途いちずだった逆上の色も青くめて、顔じゅう、ぼうだと流れる涙だらけにしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
諸侯の陪臣ばいしん共が見物を差し許されている一般席の、それもなるべく目立たないうしろへこっそりと席をとりました。
にわかに講武所こうぶしょの創設されたとも聞くころで、旗本はたもと御家人ごけにん陪臣ばいしん浪人ろうにんに至るまでもけいこの志望者を募るなぞの物々しい空気が満ちあふれていた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
むを得ず吾々われわれ如き陪臣ばいしん(大名の家来)の蘭書読む者を雇うて用を弁じたことであるが、雇われたについてはおのずから利益のあると云うのは、例えば英公使
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
なんの薩摩の陪臣ばいしんが、という気性きしょうはドコかに持って生れているはずだから、この際神尾として、西郷如きを眼中に置かぬという風采ふうさいも、ありそうなことです。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
陽虎は(四)において上をせんする魯の陪臣ばいしんとして出てくる。正しい政道を乱すような逆臣が、同時に少年孔子をも侮辱したのである。陽虎のゆえに孔子は季氏の饗宴から退いた。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
たとい小身しょうしんでも陪臣ばいしんでも、武家に奉公させたいと念じていたのであるが、それも時節で仕方がない、なまじいに選り好みをしているうちに、だんだんに年がけてしまっても困る。
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そう云えば薬師寺弾正と云う男は、管領畠山氏の家人けにんではあるが、その父の代から主人畠山氏をしのぐ勢いがあり、時には陪臣ばいしんの身を以て室町むろまち将軍の意志をさえ左右する権力者であった。
其の方陪臣ばいしんの身の上でありながら、何故なにゆえに御寝所近い内庭へ忍び込み、ことには面部を包み、刄物を提げ、忍び込みしは何故なにゆえの事じゃ、又お手飼の犬を斬ったと申すは如何いかなる次第じゃ
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ただ、武衛家の御家督に立たれました頃おい、太閤様にじきじきの御申入れがあったとやら無かったとやら、もとより陪臣ばいしんのお家柄であってみれば、そのような望みのかなえられよう道理もございません。
雪の宿り (新字新仮名) / 神西清(著)
家々は、賢き陪臣ばいしん
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
数正は、徳川家の使節として、城中では賓礼ひんれいをうけていたが、途上の列伍には、陪臣ばいしんなので当然、秀吉の後についていた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「其の武士さむらいは、小堀伝十郎こぼりでんじゅうろうと申す——陪臣ばいしんなれど、それとても千石せんごくむのぢや。主人の殿との松平大島守まつだいらおおしまのかみと言ふ……」
妖魔の辻占 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何でも有らん限りの物を見ようとばかりして居る、ソレが役人連の目に面白くないと見え、ことに三人とも陪臣ばいしんで、かも洋書を読むと云うから中々油断をしない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
一種の機略だろう……大びらに西郷江戸にきたるとなれば、江戸の天地が、安政の大地震以上に震動するかも知れない……ははあ、薩摩の陪臣ばいしん一人が出て来ると、江戸の天地が
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただ、武衛家の御家督に立たれました頃ほひ、太閤様にぢきぢきの御申入れがあつたとやら無かつたとやら、もとより陪臣ばいしんのお家柄であつてみれば、そのやうな望みのかなへられよう道理もございません。
雪の宿り (新字旧仮名) / 神西清(著)
むごたらしい話をするとお思いでない。——聞きな。さてとよ……生肝を取って、つぼに入れて、組屋敷の陪臣ばいしんは、行水、うがいに、身をきよめ、麻上下あさがみしもで、主人の邸へ持って行く。
絵本の春 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
親藩しんぱんの家老とはいえ、格からいうと陪臣ばいしんである。吉保とは、身分の差がありすぎた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
福澤等はず役人のような者ではあるが、大名の家来、所謂いわゆる陪臣ばいしんの身分であるから、一行中の一番下席かせき惣人数そうにんず凡そ四十人足らず、いずれも日本服に大小をよこたえて巴里パリ竜動ロンドン闊歩かっぽしたも可笑おかしい。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いわば陪臣ばいしんにはなるが、官兵衛の父宗円が子飼こがいから養って来た者である。数年前、官兵衛がその英才を愛されて、小寺政職まさもとからって御着の家老職に望まれて行った際、子を思う宗円が
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行きう者はみな六波羅武士である。馬上会釈のままで過ぎるもあるが宗清は、陪臣ばいしんなので、清盛一門の人とか、直臣の名だたる衆に出会えば、いちいち下馬の礼をらなければならない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陪臣ばいしんの端くれで、五、六十石にすぎない軽輩と、身分をさげすんだわけではない。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なるほどね。それじゃこちとらは、陪臣ばいしんの又家来ぐらいなとこなんで」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとより陪臣ばいしんなので、殿上にはのぼれない。階下に立って拝謁はいえつしたにとどまるが、帝も関羽の名はくご存じであるし、わけて御心のうちにある劉皇叔りゅうこうしゅくの義弟と聞かれて、特に御目をそそがれ
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
又者またもの陪臣ばいしん)で名高きは、刑部ぎょうぶ、監物、松井佐渡——と世間にうたわれたほどの剛の者であったことはたしかであり、また、柴田の驍勇ぎょうゆう小塚藤右衛門を討ったことは他書にも見えるから、その一事は
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それにしても、これほどなさむらいを、陪臣ばいしんの端くれに埋もれさせておく惜しさよ。……どうじゃ強右衛門、に仕えぬか。この勝頼の旗下はたもととして、もっと大きく、一方の武将となって働かんか。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庄司七郎も陪臣ばいしんでこそあれ時めく平家の郎党である。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陪臣ばいしん(師直をさす)。馬を曳け、もう帰るぞ」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『ぜひない事だ。高家衆と陪臣ばいしんとでは』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陪臣ばいしんである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)