むらじ)” の例文
せい元來ぐわんらい身分みぶん分類ぶんるゐで、たとへばおみむらじ宿禰すくね朝臣あそんなどのるゐであり、うぢ家系かけい分類ぶんるゐで、たとへば藤原ふじはらみなもとたひら菅原すがはらなどのるゐである。
誤まれる姓名の逆列 (旧字旧仮名) / 伊東忠太(著)
このうち御三方おさんかたのワタツミの神は安曇氏あずみうじ祖先神そせんじんです。よつて安曇のむらじたちは、そのワタツミの神の子、ウツシヒガナサクの命の子孫です。
喜兵衛は斯道しどうの研究者であるだけに、浜主の名を知っていた。尾張おわりむらじ浜主はまぬしはわが朝に初めて笛をひろめた人で斯道の開祖として仰がれている。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
先ほどの粗末そまつな下人の装束しょうぞくで、何やらおさがたい血気が身内にみなぎっている様子ようすである。舞台の右方に立ち、遠くから小野おのむらじをきっと凝視みつめる。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
保守派たる大貴族は破れた。天武天皇は逆転せる大化改新を再び復興し、新しく爵位を制定することによって古来のおみむらじを貴族の最下位に落とした。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
むらじ女鳥王めとりのみこのお死がいのお手首に、りっぱなお腕飾うでかざりがついているのを見て、さっそくそれをはぎ取って、自分の家内かないに持ってかえってやりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
鹿爪らしく何の朝臣あそんだの、何のむらじだの、宿禰すくねの、真人まひとの、県主あがたぬしのと、それぞれ昔の貴族豪族の姓を名乗っていた時代が近く五十年前にあったのである。
萬葉集の山部の宿禰赤人と高橋むらじ虫麿の長歌で有名になつた眞間の手兒名は、劇に仕組まれ最著名の美人であるが、吾人萬葉頭の人間には、此手兒名靈堂といふのが
真間名所 (旧字旧仮名) / 阪井久良伎(著)
おみむらじ国造くにのみやつこ県主あがたぬしなど、勢力のある氏のをさが、土地人民を私有してゐたので、天皇は、氏の長を率ゐて居られるだけで、直接の御領地以外は、人民全体から、税なども
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
ここは飛鳥の北につらなる藤原の里、内臣うちつおみ鎌足のむらじの本宅である。三月もいよいよ下旬に入つた午後の陽ざしが、南むきの内庭に満ちあふれた花むらを、あやしたり眠らせたりしてゐる。
春泥:『白鳳』第一部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
赤人の此処の長歌も簡潔でうまく、その次の無名氏(高橋むらじ虫麿か)の長歌よりも旨い。また此反歌は古来人口に膾炙かいしゃし、叙景歌の絶唱とせられたものだが、まことにその通りで赤人作中の傑作である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
むらじ武彦、霧小文吾、これは霧派の忍術家であった。
五右衛門と新左 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
水の上に滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、上津綿津見うはつわたつみの神。次に上筒うはづつの命。この三柱の綿津見の神は、阿曇あづみむらじ等が祖神おやがみいつく神なり。
行者達の魂ごいの呼ばい声・鈴の音は遠く消え去り、取り残されたように神楽かぐらの笛の音がかすかにしている。左手より清原きよはら秀臣ひでおみ小野おのむらじ、話し合いながら登場。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
埿部姓のものには同書天武天皇元年六月の条に、大津皇子に従って天皇の軍に参加した埿部賦枳ふきという人があり、同十二年の条には、埿部造等に姓を賜わってむらじというとある。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
皇后はそのときに、ふと、むらじの妻の腕飾りにお目がとまりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
また天皇、三宅みやけむらじ等が祖、名は多遲摩毛理たぢまもりを、常世とこよの國に遣して、時じくのかくを求めしめたまひき。
学校がどうのこうのと云ったって、正しいふみの道はただ一つさ。小野ノむらじにしろ、この僕にしろ、君とは一生を誓い合った同志じゃないか。その繰言くりごとだけはもういい加減に止めたまえ。
なよたけ (新字新仮名) / 加藤道夫(著)
そしてさっそく夫のむらじをおびつけになって
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
ここに山部やまべむらじ小楯をたて針間はりまの國のみこともちさされし時に、その國の人民おほみたから名は志自牟しじむが新室に到りてうたげしき。ここにさかりうたげて酒なかばなるに、次第つぎてをもちてみな儛ひき。
そこでそのヒコヤヰの命は、茨田うまらたむらじ・手島の連の祖先です。