“内臣”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
うちつおみ | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“内臣”の解説
内臣(うちつおみ/ないしん)は、飛鳥時代から平安時代初めにかけて置かれた役職で律令政治下では令外官にあたった。歴史上4名が任命されているがいずれも藤原氏出身である。
天皇の最高顧問で天皇を擁護して政務の機要を掌握する大臣に匹敵する官職であったが、常設の官職ではなく、その職掌はその時々に応じて全く違うものであった。
なお、日本書紀・欽明十四年(553年)に「六月、遣內臣闕名使於百濟、仍賜良馬二匹・同船二隻・弓五十張・箭五十具。」とある。百済が高句麗や新羅の攻勢に苦しんで、この年の一月十二日に軍兵を乞うたことへの最初の対応であり、翌十五年五月三日には「五月丙戌朔戊子、內臣、率舟師詣于百濟。」とあって、この内臣(名前不明)が直接百済への派兵に携わっていることが分かる。
(出典:Wikipedia)
天皇の最高顧問で天皇を擁護して政務の機要を掌握する大臣に匹敵する官職であったが、常設の官職ではなく、その職掌はその時々に応じて全く違うものであった。
なお、日本書紀・欽明十四年(553年)に「六月、遣內臣闕名使於百濟、仍賜良馬二匹・同船二隻・弓五十張・箭五十具。」とある。百済が高句麗や新羅の攻勢に苦しんで、この年の一月十二日に軍兵を乞うたことへの最初の対応であり、翌十五年五月三日には「五月丙戌朔戊子、內臣、率舟師詣于百濟。」とあって、この内臣(名前不明)が直接百済への派兵に携わっていることが分かる。
(出典:Wikipedia)
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