薬研堀やげんぼり)” の例文
そして元柳ばしぎわに船をつけてもらうと、抱っこしたまま、いい匂いのものにくるまれて、薬研堀やげんぼりの囲いものの家へ投りこまれた。
旧聞日本橋:17 牢屋の原 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
久しいあとで、その頃薬研堀やげんぼりにいた友だちと二人で、木場きばから八幡様はちまんさままいって、汐入町しおいりちょう土手どてへ出て、永代えいたいへ引っ返したことがある。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
最後は薬研堀やげんぼりの不動、植木市というほど盆栽の陳列、初春の床飾り、松竹梅に福寿草、当時はしのづくりの梅が流行で飛ぶように売れた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
毅堂は『吟草』の刊刻を機会に詩会を薬研堀やげんぼりの草加屋という酒楼に開きあまねく同好の詩人の来会を求めた。その回状を見るに
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
米櫃こめびつへ米は取っても、男世帯なので、晩飯はよく外へ喰べに出かけた。西両国の屋台だの、薬研堀やげんぼりあたりの茶飯屋などへ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歳の市は浅草観音の市が昔から第一、その次は神田明神の市、愛宕あたごの市、それから薬研堀やげんぼりの不動の市、仲橋なかはし広小路の市と、この五ヶ所が大きかった。
当時水茶屋で名高かったのは、薬研堀やげんぼりの初鷹、仲通りの寒菊、両国では森本、馬喰町四丁目の松本、まだ沢山ありましたが、多くは廃業しましたね。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
巨大な箒木ははきぎのそれのように、建物の屋根をぬきんでて、空を摩している形があったが、薬研堀やげんぼり不動の森の木であった。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
念のため、引返して薬研堀やげんぼりへ行くと、元柳橋の欄干に一つ、これは小さいが橋が新しいのでくっきり目に付きます。
源吾は津軽承昭つぐてるの本所横川に設けた邸をあずかっていて、住宅は本所割下水わりげすいにあったのである。その外東京には五百の姉安が両国薬研堀やげんぼりに住んでいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
女が如何いかに方角を悟らせまいとして、大迂廻だいうかいをやっていたかが察せられる。薬研堀やげんぼり、久松町、浜町と来て蠣浜橋かきはまばしを渡った処で、急にその先が判らなくなった。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ところで橘之助はこの左門町へ移る前は、やはり薬研堀やげんぼりの路地の清元きよもとの女師匠の二階を借りて住んでいた。
随筆 寄席囃子 (新字新仮名) / 正岡容(著)
「富さんはいませんよ」と、女房は素気そっけなく答えた。「きょうは薬研堀やげんぼりの方へでも行ったかも知れません」
半七捕物帳:17 三河万歳 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
薬研堀やげんぼりべったら市も二旬の内に迫ったきょうこのごろは、朝な朝なの外出に白い柱を踏むことも珍しくなかったが、ことにこの冬になってから一番寒いある日の
ちょうど薬研堀やげんぼりいちの立つ日、お蓮は大きな鏡台の前に、息の絶えた犬を見出した。犬は婆さんが話した通り、青い吐物とぶつの流れた中に、冷たい体を横たえていた。
奇怪な再会 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この亭主ていしゅに教えられて半蔵がおりおりあさりに行く古本屋が両国薬研堀やげんぼりの花屋敷という界隈かいわいの方にある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
弥太堀の大黒堂をあとにすると、顎十郎は、油町あぶらちょうから右へ折れ、ずんずん薬研堀やげんぼりのほうへ歩いてゆく。
人の混雑する広小路を横切り、薬研堀やげんぼりから旗本の小屋敷のあいだを、住吉町のほうへぬけていった。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
薬研堀やげんぼり不動様ふどうさまへ、心願しんがんがあってのかえりがけ、くろじょうえりのかかったお納戸茶なんどちゃ半合羽はんがっぱ奴蛇やっこじゃそうろうごのみにして、中小僧ちゅうこぞう市松いちまつともにつれた、紙問屋かみどんや橘屋たちばなや若旦那わかだんな徳太郎とくたろう
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
てまえは京橋薬研堀やげんぼりのろうそくや大五郎と申す者でござります。
蔵前のどじょう汁だとか、薬研堀やげんぼりの鯨汁好みが、汗をふきふき、すっかり紳士面になりきってしまった仲間をこきおろすのだった。
薬研堀やげんぼりがまだそのまま昔の江戸絵図にかいてあるように、両国橋の川しも、旧米沢町もとよねざわちょうの河岸まで通じていた時分である。
雪の日 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「では早速、手前は鶉坂うずらざかへご相談に参り、帰り道には薬研堀やげんぼりの亀八を訪ねて来るといたしますから、羅門氏には、また、明日でもここへご足労を願われまいか」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お通母子は、柳原を真っ直ぐに、薬研堀やげんぼりへ出て、石垣の窪みへつないだ不景気な釣舟へ下りて行くのです。
小野は工面が好くて、薬研堀やげんぼりの家は広かつたので、万事都合が好かつたが、只一つ難儀な事には、座敷の向が花道を向つて右に附けねばならぬやうになつてゐた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
もう薬研堀やげんぼりにべったら市の立つのも間もないという、年の瀬も押し迫ったあるうすら寒い日だった。
薬研堀やげんぼりから矢の倉へかけて、橙色のすさまじい火が、上から抑えつけられたように横へ広くひろがっている、そしていつ飛び火がしたものか、本所河岸もすでに炎々と燃えていた。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「あっしゃつくづく芸人は嫌になった。きょうも薬研堀やげんぼりで車夫が旦那いかがですとうるさく付いて来るから、いらないよというと、顔を見て、ふん燕枝かとさっさと行ってしまやがった」
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
あくる二十八日の朝はからかぜが吹いた。薬研堀やげんぼりの歳のいちは寒かろうと噂をしながら、半七は格子の外に立って、町内の仕事師が門松を立てるのを見ていると、亀吉は三十五六の男を連れて来た。
半七捕物帳:17 三河万歳 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私の父親は医師いしゃだったんだよ。……と云うお医師も、築地、本郷、駿河台は本場だけれども、薬研堀やげんぼりの朝湯に行って、二合半こなから引掛けてから脈を取ったんだそうだから、医師の方では場違いだね。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
製品が溜ると、品別伝票と数量簿を持って、荷馬車や荷車に付き添い、薬研堀やげんぼりの本店倉庫へ収めに行く。
横山町や、薬研堀やげんぼりあたりの大店では荒い格子戸の、よく拭き込んだのをたてて、大戸を半分だけおろして、打水をして見せていた。わざと店はあまり明るくはなかった。
十月二十五日に薬研堀やげんぼりに住した書家中沢雪城が大槻磐渓、春田九皐はるたきゅうこう、大沼枕山、鷲津毅堂の四家をその居宅なる寿康堂に招飲した。雪城、名は俊卿、字は子国、通称行蔵。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
米沢町よねざわちょうから薬研堀やげんぼりへと、先なる両人は肩を並べて歩いてゆく。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「日本橋の薬研堀やげんぼりに、平賀鳩渓ひらがきゅうけいが長崎から招いた岡本亀八おかもとかめはちと申す人形師の住んでおるのをご存じか」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後にわかったのは、薬研堀やげんぼりにいたひとは、日本橋区堀留ほりどめの、杉の森に住んでいた堅田かただという鳴物師なりものしの妹だった。今でも二絃琴の鳴物は、つづみの望月朴清ぼくせいの娘初子が総帥そうすいである。
遊びたい気があれば勉学の心も失せないわけである。述作の興味もくわけである。一夜ある人の薗八節そのはちぶしを語るを聞きわたしもその古調をあじわい学びたいと思立おもいたって薬研堀やげんぼりの師匠の家にかよっていた事がある。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「まことにしばらくでござった、拙者もここの道場へ入って以来、薬研堀やげんぼりの方へは絶えて無沙汰を致したままでござるが、親分与兵衛殿も変りなくお暮しでござるかの」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父は私を友達のように、とんでもない場所ところへまで連れてゆく。薬研堀やげんぼりのおめかけさんのところへ連れていったまま、自分は用達ようたしに出てしまうので、私は二、三日して送りかえされる。
日本橋区内では○本柳橋もとやなぎばしかかりし薬研堀やげんぼりの溝渠(震災前埋立)
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
薬研堀やげんぼりでございます。あの薬師様の裏通りで、糸問屋の持長屋もちながやに住んでおりまする」
柳生月影抄 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宛人あてにんは、江戸薬研堀やげんぼり生不動与兵衛いきふどうよへえ様。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)