“総帥”のいろいろな読み方と例文
旧字:總帥
読み方(ふりがな)割合
そうすい93.9%
ゲトマン6.1%
(注)作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
となえ、おなじ陣営にありながらも、新田義貞こそが、盟主であり総帥そうすいであるとまでの、強力な一致には、どこか欠けていたふうがある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長が、三軍をあずけて、その総帥そうすいを臣にゆるした例は、さきに北国陣のとき、元老げんろう柴田勝家があるだけで、こんどは実に二度目である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「筑前如きまだ未熟な将を中国攻略という大任に、しかも総帥そうすいとしておつかわしになった。ちと思い切ったご登用、破格過ぎはしないであろうか」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
堀秀政が出迎えた。馬印をもすぐ受けて、そこに立てた。総帥そうすいの在るを示して、この先鋒隊の位置が、そく、中軍となったことをあらわすのであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、にわかに大規模な作戦を立て、高師直こうのもろなお師泰もろやす総帥そうすいとする、二十余ヵ国の兵六万をもって、東条、赤坂の攻略に大挙さしむけた。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
バトゥーリン チェルニゴフ県コノトープ郡下の小都会で、往時、総帥ゲトマンの居住したところ。
総帥ゲトマン 小露西亜カザック軍の最高の首領で、カザックの中から選ばれてその任に就いたもの。総帥選挙制は、一五九〇年に始まり、一七六四年にエカテリーナ二世に依つて禁止されるまで継続した。
「うん、村長をさ。まつたく奴あ、なんと思つてやあがるんだらう? まるで総帥ゲトマンかなんぞのやうにおれたちを顎で指図しやあがる。奴隷のやうにこきつかふのはまだしも、おいらの娘つ子を口説きやあがるでねえか。恐らく村ぢゆうに、渋皮のけた娘つ子で、あの村長に尻を追つかけまはされねえのは、一人もあるめえぜ。」