総帥そうすい)” の例文
旧字:總帥
そのお庭番の総帥そうすいたるこの愚楽老人……今この壺の蓋から埋宝の個所を明記した古図が出てこない日には、愚楽さんの責任問題だ。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ほかではないが、このごろ、つくづく諸侯の心やまた、総帥そうすい袁紹えんしょうの胸を察するに、どうも面白くないことばかりだ。袁紹には、この後を
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あたかも科学の持つがごとき冷然たる素質を排撃するとしたならば、彼らの総帥そうすいかつて活用したる唯物論と雖も、その活用させたる科学的態度を
南蛮渡来の法術を使い遁甲とんこう隠形おんぎょう飛行ひぎょう自在、まだ弱冠の身でありながら、すで総帥そうすいの器を有し、数年前より御嶽山おんたけさん上にとりでを設けて武威を張る御嶽冠者みたけかじゃと申すお方!
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
後にわかったのは、薬研堀やげんぼりにいたひとは、日本橋区堀留ほりどめの、杉の森に住んでいた堅田かただという鳴物師なりものしの妹だった。今でも二絃琴の鳴物は、つづみの望月朴清ぼくせいの娘初子が総帥そうすいである。
この弱冠の一美少年こそは、切利支丹一揆の総帥そうすいとなった天草四郎時貞である。
島原の乱 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
と、にわかに大規模な作戦を立て、高師直こうのもろなお師泰もろやす総帥そうすいとする、二十余ヵ国の兵六万をもって、東条、赤坂の攻略に大挙さしむけた。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(大塔宮様こそ関東討伐の、宮方の総帥そうすいにおわします。勿体もったいないけれど御首級みしるし頂戴せねば)と。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
隠密おんみつ総帥そうすいで、みずから称して地獄耳、いながらにしてなんでも知っている。八代吉宗、最高秘密の政機は、すべて入浴にゅうよくの際、このせむしの愚楽にはかって決めたものだそうだ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
となえ、おなじ陣営にありながらも、新田義貞こそが、盟主であり総帥そうすいであるとまでの、強力な一致には、どこか欠けていたふうがある。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それだけでも右衛門には苦々にがにがしく思われ、小次郎を白い眼で見たものであったが、現在は何んと桂子までが——飛天夜叉の総帥そうすいともある桂子までが、小次郎を恋して狂態を演ずる!
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
お庭番という、将軍家直属の隠密おんみつ総帥そうすい
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
信長が、三軍をあずけて、その総帥そうすいを臣にゆるした例は、さきに北国陣のとき、元老げんろう柴田勝家があるだけで、こんどは実に二度目である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「広宗の方面から逃げくずれて来る官軍を、黄巾こうきん総帥そうすい張角ちょうかくの軍が、大賢良師たいけんりょうしと書いた旗を進め、勢いに乗って、追撃してくるのでござる」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「筑前如きまだ未熟な将を中国攻略という大任に、しかも総帥そうすいとしておつかわしになった。ちと思い切ったご登用、破格過ぎはしないであろうか」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尠なくも、軍中においては、“叔父御”などという私称をもって、この大軍の総帥そうすいを呼ばせたくない気持だったのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何となく彼の焦躁あせりが感ぜられるからである。老将の眼から見ると、総帥そうすいたる人のそういう心理は案じられるものだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
故に、一兵一兵をてゆく眼ざしにも、悽愴せいそうの気に近い光があったにちがいない。総帥そうすいたる人のその気魂きこんは当然また全軍の兵気にうつらずにいない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北条一族中での名門であり、れの総帥そうすいの名に気負ってもいた。高氏は、その着陣早々に、じぶんのほうから彼の陣を訪ねて行った。そして、ことばも低く
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが総帥そうすいは、その年齢からいっても、太守劉璋の舅たる格からいっても当然、呉懿ごいその人であった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その長可ながよしが、功にはやって、小牧の敵塁てきるいへ、奇襲をしかけたのが、あやまちのもとで、まだ総帥そうすいの秀吉が、この大決戦場へ、着陣もしないうちに、おびただしい序戦じょせん傷手いたで
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分も兵家に生れた名聞みょうもんに、信玄ほどな年になったら、いちどは信玄のように大兵を自由にうごかしてみたいものだ。——あの総帥そうすいぶりを見ては、たとえ今、信玄を毒を
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総帥そうすいの精神力による明断や予察が、実に、全軍の大きな運命をうごかしてくることになる。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その紅顔の子顕家が、今日の国難にく奥州軍の総帥そうすいだった。思わぬ任地へ来て二年、北国の朔風さくふうに研がれた馬上の子は、その生涯の方向を、いまは誰かに決定づけられていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(卑怯な総帥そうすい、臆病な都督)と、あげつらい、陣中の紀綱をみだしがちなことであった。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総帥そうすいの在るを示して、この先鋒隊の位置が、そく、中軍となったことをあらわすのであった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総帥そうすい信玄は、やや離れた位置にあって、一族、旗本をうしろに、床几へ腰かけている。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先発の先鋒せんぽう軍は、とうに赤松円心や足利の与党がいる播磨地方へついているころだ。——にもかかわらず、尊氏討伐の総帥そうすいたる左中将義貞は、いまだに三条高倉ノ亭を立っていない。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総帥そうすいとがは、全兵の咎だ。わが諸葛亮しょかつりょうひとりに罪を帰してはおけない。今に見ろ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太史慈が、半眼をみひらいて、その人を見れば余人ならぬ敵の総帥そうすい孫策そんさくであった。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たしかに、三軍の総帥そうすいとしては、勅を拝しながら、その都立ちも遅れてはいた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長久手ながくての合戦には、秀次に三河入りの総将を命じて、大失敗をまねき、為に、秀吉は深刻な後悔をなめたはずだが、いままた、肉親の秀長に、四国入りの総帥そうすいを、敢えて、こう任命した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陸遜は、呉の総帥そうすいとして、その中軍を荊州まで進めていたが、巣湖そうこの諸葛瑾が大敗した報をうけて、「これはいかん——」と、早くも当初の作戦を一変して、新たな陣容を工夫していた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おう、誓紙とあれば、受けようか。——そして、秀郷を総帥そうすいに立て、三軍の指揮を委すというなら、出向いてもよいが、さもなくて、ただのお手伝いなら、まあ、ごめんこうむりたいものだ」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さすがに彼も三軍の総帥そうすいであった。誰よりもはやく、形勢の全体を察知した。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あの君が、これからの総帥そうすいとなるのか。あの人が、関羽というのか」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この忠言をしてくれた袁紹は、先に十八ヵ国の軍にのぞんで総帥そうすいたる人。また、智勇衆望も高い名門の人物。よろしくこの人のお力を頼んで、慇懃いんぎん、冀州へお迎えあるがしかるべきでございましょう。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、見たか、総帥そうすいの親房は、やがて自身、京都へ乗り込んでいた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
総帥そうすいの死はやはり三軍のであり、しかも彼の臣だった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、さすがに曹操は、百れん総帥そうすいだけあって
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「秀吉ごとき小人物を、われらの総帥そうすいには戴かれぬ」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
軍の総帥そうすいたる袁紹へささやいて
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)