“承昭”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
つぐあき50.0%
つぐてる50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
「十七日。晴。弘前侯為御見廻当所御通行、総兵隊へ為御土産御酒御肴被成下。」弘前侯は津軽承昭つぐあき、二十八歳。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
津軽家は順承ゆきつぐの世に柏軒を招請し、承昭つぐあきも亦其薬を服した。柏軒の歿後に其後をいだものは塩田楊庵であつた。当時津軽家の中小姓に板橋清左衛門と云ふものがあつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
一月いちげつ二十五日津軽承昭つぐてるは藩士の伝記を編輯へんしゅうせしめんがために、下沢保躬しもさわやすみをして渋江氏について抽斎の行状をさしめた。保は直ちに録呈した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
源吾は津軽承昭つぐてるの本所横川に設けた邸をあずかっていて、住宅は本所割下水わりげすいにあったのである。その外東京には五百の姉安が両国薬研堀やげんぼりに住んでいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)