“つぐてる”の漢字の書き方と例文
語句割合
承昭100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
一月いちげつ二十五日津軽承昭つぐてるは藩士の伝記を編輯へんしゅうせしめんがために、下沢保躬しもさわやすみをして渋江氏について抽斎の行状をさしめた。保は直ちに録呈した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
源吾は津軽承昭つぐてるの本所横川に設けた邸をあずかっていて、住宅は本所割下水わりげすいにあったのである。その外東京には五百の姉安が両国薬研堀やげんぼりに住んでいた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
といった。かつ令の発せられる少し前の出来事で、成善が津軽承昭つぐてるに医として遇せられていた証拠がある。六月十三日に、藩知事承昭はたたかい大星場おおほしばに習わせた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)