“承応”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
じょうおう50.0%
しょうおう50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
世潮はとうとうと華奢(かしゃ)淫逸へながれてゆくのを見ながら、承応(じょうおう)、万治(まんじ)、延宝(えんぽう)などのあいだは、一般にただ懐疑的であったといえる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
原来(がんらい)疱瘡(ほうそう)を治療する法は、久しく我国には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手を束(つか)ねて傍看(ぼうかん)した。そこへ承応(じょうおう)二年に戴曼公(たいまんこう)が支那から渡って来て、不治の病を治(ち)し始めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
承応(しょうおう)二巳年(みどし)八月十一日の黄昏(ゆうぐれ)のことであった。与右衛門(よえもん)夫婦は畑から帰っていた。二人はその日朝から曳(ひ)いていた豆を数多(たくさん)背負っていた。
累物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
次に起りし美少年の若衆(わかしゅ)歌舞伎もまた男色(だんしょく)の故を以て承応(しょうおう)元年に禁止せられて野郎(やろう)歌舞伎となりぬ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)