承応じょうおう)” の例文
世潮はとうとうと華奢かしゃ淫逸へながれてゆくのを見ながら、承応じょうおう万治まんじ延宝えんぽうなどのあいだは、一般にただ懐疑的であったといえる。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
原来がんらい疱瘡ほうそうを治療する法は、久しく我国には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手をつかねて傍看ぼうかんした。そこへ承応じょうおう二年に戴曼公たいまんこうが支那から渡って来て、不治の病をし始めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それが、正保しょうほう慶安けいあん承応じょうおう万治まんじ——元禄というように、世が推移してくるにしたがって、世風も士風もおどろくばかり変って来たのである。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)