“じょうおう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:ジョウオウ
語句割合
紹鴎66.7%
承応16.7%
貞応8.3%
襄王8.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
いわゆる大茶人と称せられる人々で珠光じゅこうとか紹鴎じょうおうとか利休りきゅうとかまたは相阿弥そうあみのような人々である。下っては光悦こうえつらもそれらの間に列する。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
原来がんらい疱瘡ほうそうを治療する法は、久しく我国には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手をつかねて傍看ぼうかんした。そこへ承応じょうおう二年に戴曼公たいまんこうが支那から渡って来て、不治の病をし始めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼自身は承久乱の年は六十歳で、その翌貞応じょうおう元年従二位に昇ってから、六十六で正二位、七十一歳で権中納言に就き、七十二歳で出家、仁治にんじ二年八月、八十歳を以て薨去こうきょした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
貞応じょうおう二年二十六のとき、出家しようかと思いつめて慈円になだめられ、日吉ひえ参籠さんろうして一七日いちしちにちの間に千首歌を詠んだ。これが『為家千首』といって、今も『群書類従』に入れられて伝わっている。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
梁は楚の襄王じょうおうのような貴人であろうとおもったが、それにしては従者がひどくすくなかった。梁は眸を凝らしてじっと見た。それは幼な友達の陳明允であった。
西湖主 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)