紹鴎じょうおう)” の例文
彼の山科やましな丿貫べちかんという大の侘茶人がのりを入れた竹器に朝顔の花を生けて紹鴎じょうおうの賞美を受け、「糊つぼ」という一器の形を遺したと共に
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いわゆる大茶人と称せられる人々で珠光じゅこうとか紹鴎じょうおうとか利休りきゅうとかまたは相阿弥そうあみのような人々である。下っては光悦こうえつらもそれらの間に列する。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
七月七日は、七夕たなばたちなみ、玉礀ぎょっかん暮鐘ぼしょうの絵を床に、紹鴎じょうおうのあられ釜を五徳ごとくにすえ、茶入れは、初花はつはなかたつきが用いられた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶室の広さはその以前に十五世紀の有名な宗匠紹鴎じょうおうによって定められていた。初期の茶室はただ普通の客間の一部分を茶の会のために屏風びょうぶで仕切ったものであった。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
あるいは紹鴎じょうおうの言葉だともいう。「和敬静寂」の四字も有名だが、私はこの「一期一会」の方が一段と特色ある言葉のように思われてならぬ。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
長井隼人ながいはやとの手から放った間諜の報告によると、織田家でも、昨年夏の大敗にりて、もう再起もおぼつかないと自覚したか、この春は信長も、都から茶道の紹鴎じょうおうを招いて茶会に暮したり
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は紹鴎じょうおうとか利休りきゅうとかを指して云うのです。ややおくれては光悦の如き例外を多少は挙げ得るでしょう。中期以後、特に遠州えんしゅうあたりから茶道は下落する一方です。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「京都の六角堂の隣に住む武野紹鴎じょうおうのことです」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は政治家としてはつまらぬ人であったかも知れぬが、藝術を熱愛して、いわゆる「東山文化」を生んだ阿弥一門と共に茶祖珠光の名が彼のもとに光る。続いては紹鴎じょうおう引拙いんせつの名が残る。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
彼の愛した器物に、どれほど独創的なものがあったか。誠に「大名物」などに美しいものが数々あるが、彼以前の茶人たち、例えば紹鴎じょうおうなどにも既に重々認められていたものではないか。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)