“しょうおう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
商鞅26.7%
承応13.3%
紹鴎13.3%
尚王6.7%
昭応6.7%
昭王6.7%
松翁6.7%
正応6.7%
湘王6.7%
蕉翁6.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
秦の商鞅しょうおうは自分の制定した法律のために関下かんかやどせられず、「嗟乎ああ法をつくるの弊いつここに至るか」
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
次に起りし美少年の若衆わかしゅ歌舞伎もまた男色だんしょくの故を以て承応しょうおう元年に禁止せられて野郎やろう歌舞伎となりぬ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
奈良は常子の悪口通り引っ込み思案が勝っていて活動的でない所為せいか、茶の湯がこゝでみなもとを発しました。利休の先生が紹鴎しょうおう、紹鴎の先生が珠光しゅこう、その珠光が当地で茶道さどうを開いたのでございます。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
尚王しょうおうが城を構えたのは首里しゅりで、その近くの那覇なはは国の港でありました。外とのが不便でありましたから、凡てのものをこの国で作らねばならなかったでありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
さいは長安の永楽里えいらくりという処に住んでいた。博陵はくりょうの生れで渭南いなんに別荘を持っていた。貞元年中のこと、清明せいめいの時分、渭南の別荘へ帰って往ったが、ある日、昭応しょうおうという処まで往くと陽が暮れてしまった。
崔書生 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
楽毅は春秋戦国の世に、えん昭王しょうおうをたすけて、五国の兵馬を指揮し、せいの七十余城を陥したという武人。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたしの知っている限りでは、局外者の作物が何らの添削を加えられずに、そのまま歌舞伎劇の舞台にのぼせられたのは、明治以来これが嚆矢こうしであろうと思う。松葉は後の松翁しょうおう君である。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
正応しょうおう六年(永仁えいにん元年)八月に、持明院統の伏見天皇の御即位後間もなく、その御考によって二条為世・京極為兼・飛鳥井雅有・六条隆博たかひろ(『続古今』撰者の一人行家の子)の四人を召し
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
よって其の護衛を削り、其の指揮宗麟そうりんちゅうし、王を廃して庶人となす。又湘王しょうおうはくいつわりてしょうを造り、及びほしいままに人を殺すを以て、ちょくくだして之を責め、兵をってとらえしむ。湘王もと膂力りょりょくありて気を負う。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
蕉翁しょうおうの心構えは奇警にもはしらず、さりとてまた常套じょうとうにも堕せずして、必ず各自の実験の間から、直接に詩境を求めさせていたところに新鮮味があった。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)