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商鞅
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しょうおう
ふりがな文庫
“
商鞅
(
しょうおう
)” の例文
王子比干や
商鞅
(
しょうおう
)
も韓非子も高青邱も、呉子胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜雄も、江藤新平も赤井景韶も富松正安も、死刑となった。
死刑の前
(新字新仮名)
/
幸徳秋水
(著)
秦の
商鞅
(
しょうおう
)
は自分の制定した法律のために
関下
(
かんか
)
に
舎
(
やど
)
せられず、「
嗟乎
(
ああ
)
法を
為
(
つく
)
るの弊
一
(
いつ
)
に
此
(
ここ
)
に至るか」
法窓夜話:02 法窓夜話
(新字新仮名)
/
穂積陳重
(著)
商鞅
(
しょうおう
)
はまだ年こそ若いが、世にもまれなすぐれた才能をもっております。陛下がもしこの男を
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
漢王は、その前時代の、秦の
商鞅
(
しょうおう
)
が、苛政、暴政を
布
(
し
)
いて、民を苦しめたあとなので、いわゆる三章の寛仁な法をもって、まず民心を馴ずませたのだ。——前蜀の劉璋は、暗弱、
紊政
(
ぶんせい
)
。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
韓非子
(
かんぴし
)
・
商鞅
(
しょうおう
)
・
李斯
(
りし
)
らの英傑が刑名法術の政策を用いたからであって、その二世にして天下を失うに至ったのは、書を焚き儒を
坑
(
あな
)
にしたに基づくことは、人の知るところであるが
法窓夜話:02 法窓夜話
(新字新仮名)
/
穂積陳重
(著)
“商鞅”の解説
商 鞅(しょう おう、紀元前390年 - 紀元前338年)は、中国戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
姓は姫、氏は公孫。名は鞅。また、衛の公族系のために衛鞅(えいおう)ともいう。なお商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも秦軍に攻められ戦死した。
(出典:Wikipedia)
商
常用漢字
小3
部首:⼝
11画
鞅
漢検1級
部首:⾰
14画
“商”で始まる語句
商人
商
商売
商賈
商家
商賣
商業
商買
商店
商船