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筑後
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ちくご
ふりがな文庫
“
筑後
(
ちくご
)” の例文
筑前
(
ちくぜん
)
、
筑後
(
ちくご
)
、
肥前
(
ひぜん
)
、
肥後
(
ひご
)
、
豊前
(
ぶぜん
)
、
豊後
(
ぶんご
)
、
日向
(
ひゅうが
)
、
大隅
(
おおすみ
)
、
薩摩
(
さつま
)
の九ヵ国。それに
壱岐
(
いき
)
、
対馬
(
つしま
)
が加わります。昔は「
筑紫
(
ちくし
)
の
島
(
しま
)
」と呼びました。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
■
豊前
(
ぶぜん
)
や
筑後
(
ちくご
)
は好く存じませんが、
筑前
(
ちくぜん
)
殊に福岡は
鷹揚
(
おうよう
)
な人が多い、
久留米
(
くるめ
)
などのこせ/\した気性に比ぶれば余程男らしい処があります。
福岡の女
(新字旧仮名)
/
伊藤野枝
(著)
すると、突然ある日、そのころ
筑後
(
ちくご
)
の
前司
(
ぜんじ
)
の
小舎人
(
ことねり
)
になっていた弟が、盗人の疑いをかけられて、左の
獄
(
ひとや
)
へ入れられたという知らせが来た。
偸盗
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
水野
筑後
(
ちくご
)
は二千石の
知行
(
ちぎょう
)
ということであるが、特にその旅は十万石の格式で、重大な任務を帯びながら遠く西へと通り過ぎた。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
徳大寺
(
とくだいじ
)
家の密使をはじめ、加担の西国大名、
筑後
(
ちくご
)
の
柳川
(
やながわ
)
、
大洲
(
おおず
)
の
加藤
(
かとう
)
、
金森
(
かなもり
)
、
鍋島
(
なべしま
)
、そのほかの藩から、それぞれの使者が徳島城に集まって
鳴門秘帖:05 剣山の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
昔「猫」を書いた時、その中に
筑後
(
ちくご
)
の国は
久留米
(
くるめ
)
の住人に、
多々羅三平
(
たたらさんぺい
)
という
畸人
(
きじん
)
がいると
吹聴
(
ふいちょう
)
した事がある。
満韓ところどころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
左馬権介
(
さまごんのすけ
)
、
結城
(
ゆうき
)
七郎、
千葉平兵衛尉
(
ちばへいべえのじょう
)
、
葛西
(
かさい
)
十郎、
筑後
(
ちくご
)
六郎、
和田
(
わだ
)
三郎、
土肥先二郎
(
どひせんじろう
)
、
佐原
(
さはら
)
太郎、
多多良
(
たたら
)
四郎、
長井
(
ながい
)
太郎、
宇佐美
(
うさみ
)
三郎、
佐佐木小三郎
(
ささきこさぶろう
)
、
南条平次
(
なんじょうへいじ
)
頼朝の最後
(新字新仮名)
/
田中貢太郎
(著)
しかしこれは
日本
(
につぽん
)
のごく
一部
(
いちぶ
)
に
行
(
おこな
)
はれたゞけで、
九州
(
きゆうしゆう
)
の
筑後
(
ちくご
)
や
肥後
(
ひご
)
などに
時々
(
とき/″\
)
見
(
み
)
ることが
出來
(
でき
)
ます。
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
福岡県
筑後
(
ちくご
)
にて聞いた狐話があるが、夏の夜、一人の漁夫が筑後川の岸にて
鮎
(
あゆ
)
の釣りをしていた。その背面に
蘆
(
あし
)
が茂っており、その薦を隔てて小道が川に並んでついている。
おばけの正体
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
藩士尊攘派の独自的結成は水戸で水長藩士の
丙辰
(
へいしん
)
丸会盟、関西ではもっと大仕掛に薩——寺田屋で藩主改良派の手で殺された——長、土、肥、
筑前
(
ちくぜん
)
、
筑後
(
ちくご
)
の諸藩士および浪士
尊攘戦略史
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
それから一帯吉原田圃で、この方に太郎稲荷(この社は
筑後
(
ちくご
)
柳川
(
やながわ
)
立花
(
たちばな
)
家の下屋敷内にある)の藪が見え、西は入谷田圃に続いて
大鷲
(
おおとり
)
神社が見え、
大音寺前
(
だいおんじまえ
)
の方へ、吉原堤に
聯絡
(
れんらく
)
する。
幕末維新懐古談:12 名高かった店などの印象
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
落付
(
おちつけ
)
んと思ひ
近處
(
きんじよ
)
近傍
(
きんばう
)
へは古郷なる
筑後
(
ちくご
)
久留米
(
くるめ
)
へ赴くと
云
(
いひ
)
なしてぞ立出ける
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
羽後
(
うご
)
由利郡の
本荘
(
ほんじょう
)
西方から、
雄物川
(
おものがわ
)
平原の
浅舞
(
あさまい
)
横手へ越える峠は、海岸部の方が表口、
肥後
(
ひご
)
山鹿
(
やまが
)
の奥岳間村から
筑後
(
ちくご
)
の矢部へ越える冬野の山道は、複雑していたが肥後の方が表だったと記憶する。
峠に関する二、三の考察
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
時に王既に
今川了俊
(
いまがわりょうしゅん
)
の為に圧迫せられて衰勢に陥り、征西将軍の職を
後村上帝
(
ごむらかみてい
)
の皇子
良成
(
ながなり
)
王に譲り、
筑後
(
ちくご
)
矢部
(
やべ
)
に閑居し、読経礼仏を事として、兵政の
務
(
つとめ
)
をば執りたまわず、年代
齟齬
(
そご
)
するに似たり。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
伊東七十郎のほかに、訪問者が三人待っており、あとからまた二人来て、それらとの用談が済むと、宮崎
筑後
(
ちくご
)
から、招宴の使いが来た。筑後は本丸
城代
(
じょうだい
)
で、これまであまり親しいつきあいはなかった。
樅ノ木は残った:03 第三部
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
蛍
(
ほたる
)
飛ぶ
筑後
(
ちくご
)
河畔に佳人あり
七百五十句
(新字新仮名)
/
高浜虚子
(著)
それから三度も四度も猛烈な手紙を寄こしたあとで、とうとうこう云う条件を出した。自分が三平と誤られるのは、双方とも
筑後
(
ちくご
)
久留米
(
くるめ
)
の住人だからである。
満韓ところどころ
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
八月の一日には、この街道では
栗色
(
くりいろ
)
なめしの
鎗
(
やり
)
を立てて江戸方面から進んで来る新任の長崎奉行、幕府内でも有数の人材に数えらるる
水野
(
みずの
)
筑後
(
ちくご
)
の一行を迎えた。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
先年、
筑後
(
ちくご
)
の柳河にて、ある小学校長より聞いた話がある。その校長が
不知火
(
しらぬい
)
を探検せんとて、火の出ずる季節に漁舟を雇い、夕刻より海上へこぎ出だしたれど、なかなか火が見えぬ。
おばけの正体
(新字新仮名)
/
井上円了
(著)
筑後
(
ちくご
)
には
昔
(
むかし
)
繼體天皇
(
けいたいてんのう
)
の
御時
(
おんとき
)
、
磐井
(
いはゐ
)
といふ
強
(
つよ
)
い
人
(
ひと
)
がをつて、
朝鮮
(
ちようせん
)
の
新羅
(
しらぎ
)
の
國
(
くに
)
と
同盟
(
どうめい
)
して、
天皇
(
てんのう
)
の
命
(
めい
)
に
背
(
そむ
)
いたので、とう/\
征伐
(
せいばつ
)
されてしまひましたが、この
人
(
ひと
)
は
生
(
い
)
きてゐる
時分
(
じぶん
)
から、
石
(
いし
)
でお
墓
(
はか
)
を
作
(
つく
)
り
博物館
(旧字旧仮名)
/
浜田青陵
(著)
筑後
(
ちくご
)
柳河
(
やながわ
)
の人で
南紀理介
(
なんきりすけ
)
、槍術では
海内
(
かいだい
)
無双
(
むそう
)
という聞えがあった。
剣の四君子:04 高橋泥舟
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
水野
筑後
(
ちくご
)
の
守
(
かみ
)
——あの人は二千石の
知行
(
ちぎょう
)
取りだそうだが、きょうの御通行は十万石の格式だぜ。非常に破格な待遇さね。一足飛びに十万石の格式なんて、今まで聞いたこともない。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“筑後”の意味
《固有名詞》
筑後 (ちくご)
旧国名の一つ。筑後国。
福岡県にある地名。筑後市。
(出典:Wiktionary)
筑
漢検準1級
部首:⽵
12画
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
“筑後”で始まる語句
筑後守
筑後守貞能
筑後国
筑後柳川
筑後丸
筑後柳河
筑後水天宮