生唾なまつば)” の例文
こういって、ジイと、どての上から見おろした。新吉は、何となく身がすくんで、これは、いよいよ容易なことではないと、生唾なまつばをのむ。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼らは、生唾なまつばをのむような沈黙にち、この対座の一瞬々々に双方の考えがずんずん遠ざかるような焦燥を感じだした。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
手をたたくことさえ忘れていた。生唾なまつばみ込み呑み込み、眼をみはって、口をあけて、名女優の命がけの演技に見とれていた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし、五、六度生唾なまつばみ下しているうちに、サッと智的なものがひらめいたかと思うと、伸子は高いふるえを帯びた声で云った。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
生唾なまつばが、だらだらと出てきた。全身には、びっしょり汗をかいていた。だが僕は、大声で叫びたいほど愉快であった。
三重宙返りの記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
妾は生唾なまつばをグット呑み込んだ。あんまり出来事が不意打ちで案外だったので、正直のところ胸がドキドキした。
ココナットの実 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
が、どうしても、出そうとするものがすっかり出ないで、さい/\生唾なまつばを蜜柑の皮の上へ吐きすてた。
浮動する地価 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
それを人垣で隱すやうに、お光の從兄いとこの喜太郎を始め近所の衆、湯島五丁目の町役人、下つ引などが、檢屍の役人や平次の來るのを待つて、生唾なまつばばかり呑んで居ります。
そして、わたくしの肩をぐさとつかみ、生唾なまつばを土手の若草の上に吐いて喘ぎながら言った。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
手向かうものとてはもはやその一個の蛆虫うじむしのみである。が彼は手向かう。そして彼は剣をさがすがごとくに一語をさがす。彼には生唾なまつばが湧く。そしてその生唾こそ彼の求むる一語である。
一坪のくりやは活気をていしていわしを焼く匂いが僕の生唾なまつばさそった。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
オルガは生唾なまつばをぐっと飲み込むように首を延ばした。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
その目安箱の側へよって、万吉は、ふところから弦之丞のしたためた密封をさぐり出し、生唾なまつばをのみながら、箱の口へ、ポンと入れた。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
博士は生唾なまつばをごくりと呑みこみながら、秘書を呼んで冷蔵庫を探させた。
柚木の大きい咽喉仏のどぼとけがゆっくり生唾なまつばを飲むのが感じられた。
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
生唾なまつばが煙になって、みんな胃のふへ逆もどりしそうだ。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
かくと殿軍しんがりの物見から聞くと、孔明は初めて、うすい微笑ほほえみおもてに持った。生唾なまつばを呑むように、待ちに待っていたものなのである。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だ、だ、旦那様が……」勝見は生唾なまつばをごくりと呑みこみました。
赤耀館事件の真相 (新字新仮名) / 海野十三(著)
小田島は、ごくりと一つ生唾なまつばを呑んだ。
ドーヴィル物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
と、眼を血走らせているのは袁彦道えんげんどうの胴元、盆蓙ぼんござの周りには、十四、五人の男が、同じように、生唾なまつばを呑んで、よからぬなぐさみに夢中のてい
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
博士は、電話をかけながら、ごくりと生唾なまつばをのみこんだ。
「…………」いたましげに、人々は、生唾なまつばをのんだ。しいんと、声もないうちに。と、生信房は、くわっと大きな眼を一方に向け
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、ジッと生唾なまつばをのんですくまっていると、境内を斜めに切って、疾風しっぷうのように自分の方へ駈けてくるふたつの天蓋が闇をかすッて見える。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、茫然のうちに、ややあきれ気味さえ湛えて、頼朝の怒っている——ほんとに怒りきっている苦々しげなおもてを——生唾なまつばのんで見すえていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小次郎は、そういって、まわりにいる三、四十人の顔を見まわしている。皆、生唾なまつばをのんで、彼の厳しい稽古ぶりにおののいた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
官兵はちぢみ上がったものの、虚勢を張ったてまえ、退きもならず、生唾なまつばをのんでいた。玄徳は、眼じらせで、関羽にこの場を扱うように促した。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、なおかつ、いまの師直の一言には尊氏もおもわず生唾なまつばをのんだらしい。じっとそのおもてをにらまえるように見て。
客は口々にこうささやいて生唾なまつばをのんでいた。先にらず口をたたいた男などはおしみたいに眼をすくめた。おかと川の中との隔てがなによりの頼りであった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ワーッ、という動揺どよめきに、上甲板の醜い喧噪けんそうは、一時に押し黙って、ひとみを吊り、眉をひそめ、生唾なまつばをのんだ。
かんかん虫は唄う (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぐ……と生唾なまつばをのんで又八はなおも後へ退がった。腹の底から驚きを感じると声も出ないものだ。ただ眼のみ大きくみひらいて、目前の事実に茫失した。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
胸さきに、生唾なまつばつかえさせていた武士たちも、その図に乗って、いちどきに、わッと凱歌をあげて引揚げた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よいのくちになると、大番頭の李固りこ以下、盧家ろけの雇人四十幾人、二列になって、大旦那の前に出て生唾なまつば呑んだ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうつぶやいては、宅助、ペッ、ペッ、と生唾なまつばを吐き、目ばかり鋭く動かして、よろよろと道を泳いだ。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉はともかく、衆はみな酒気を失って蒼白なおもて生唾なまつばをのみ合った。——事態、これはただ事でない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九郎兵衛は苦い生唾なまつばをのんでいた。暫く措いてから門の外で、八十右衛門の笑い声が大きく響いた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ごくッ……と、丈八は、のど生唾なまつばをつかえさせた。似ている! と思う直感と、たしかに! という直感と、一時に、十文字に、胸をつきぬいて、大きく心臓が呼吸した。
無宿人国記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ベッと、彼は馬上からつばを捨てた。いやな物を見た後の不快な生唾なまつばがまだ残っていた。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ごくと、生唾なまつばんだまま、その妙な、小さな物体に、驚きの目をられてしまった。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、あれほどさわいでいた子供も、駈け出した大人も、その他この界隈の漁村の男女も、皆、森の際やがくれに、しいんと、生唾なまつばをのんでしまって、声一つ立てる者がない。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
凝然ぎょうぜんと、生唾なまつばをのんだ儘、自失した無数の顔は、しばらく声をすら、出せなかった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
渺茫びょうぼうとした迷宮に疑心をさまよい、万吉も、それへ驚目きょうもくをみはったまま、ゴクリと、生唾なまつばをのんでいるばかり……まったく、いうべき言葉を忘れているとは瞬間、二人の姿であった。
鳴門秘帖:02 江戸の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにか緊迫してくるものを各〻めいめいが顔にたたえ出した。自然とそれが人々を無口にさせた。誰の眼も一様に、そこから街端まちはずれの街道を眺めて、生唾なまつばを溜めて待ちしびれている様子に見える。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
草雲は、胸がつまって、思わず、依頼者に聞えては恥しいような生唾なまつばをのんだ。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だがすぐ、不快な眼まいがこみあげて来るらしく、生唾なまつばを吐いて顔を振った。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後見や装束方しょうぞくがた、そのほか、鏡の間の異変に、期せずして混み入って来た家臣たちは、毛氈もうせんおおわれている紋太夫の死骸よりも、まず光圀のおもてを仰ぎ合って、ひとしく生唾なまつばをのむばかりだった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
連中はただ生唾なまつば呑んで聞いているばかりだった。まるで地底のようである。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、ペッと生唾なまつばを吐く音をさせて、そこを立とうともしない様子。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
唯七はペッと水面みずも生唾なまつばを吐いて、苦々しく、見ぬ振りを装っていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっきから見物していた兵たちは、笑いも出ずに、ただ生唾なまつばをのんでいた。食い物の恨みは元々深刻なもの。いわんや、くがごとき暑熱にかわいている鼻先で、舌つづみを打たれたのでは堪るまい。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
腸も胃も、暴れ廻って、吐き気のような生唾なまつばを感じるのだった。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)