懐中かいちゅう)” の例文
旧字:懷中
かれは、懐中かいちゅうから、スケッチちょうして、前方ぜんぽう黄色きいろくなった田圃たんぼや、灰色はいいろにかすんだはやし景色けしきなどを写生しゃせいしにかかったのであります。
丘の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「ねえ、アン。おれは懐中かいちゅう無一文なんだがねえ、リバプールの英蘭イングランド銀行支店で、預金帳から金を引出していく暇はないだろうか」
英本土上陸戦の前夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
夫人と結婚して間もない頃、雨でずぶれになった小猫を拾って帰り、そのどろだらけのままの猫を懐中かいちゅうに入れて、長い間やさしく暖めていた。
私は一冊の手帳を求め、平生へいせいこれを懐中かいちゅうして居るようにした。そうすると霊気が浸潤しんじゅんして、筆の運びがはやいからである。
その三円は五年った今日までまだ返さない。返せないんじゃない。返さないんだ。清は今に返すだろうなどと、かりそめにもおれの懐中かいちゅうをあてにしてはいない。
坊っちゃん (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「じゃ一袋おいて行って下さい」と、おかみさんは、懐中かいちゅうから財布さいふを出して二十銭だけ奮発してくれた。
だが、そうして彼の前を二三歩通り過ぎた時、一寸法師の懐中かいちゅうから、何か黒い物が転がり落ちた。
一寸法師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「かしこまりました」それから懐中かいちゅうからちいさなきいろな紙で包んだ物を出して、「これは、てまえ隠居の家伝でござりまして、血の道の妙薬でござります、どうかお岩さまへ」
南北の東海道四谷怪談 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と、こなたは何時いつか、もう御堂おどうの畳に、にじりあがっていた。よしありげな物語を聞くのに、ふところ窮屈きゅうくつだったから、懐中かいちゅう押込おしこんであった、鳥打帽とりうちぼうを引出して、かたわら差置さしおいた。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「まだございます、——菊次郎様は、五百両の大金を持出したことは判っておりますが、舟にも、橋場近い川底にも、両国近くにも、菊次郎様の懐中かいちゅうにもなかったそうでございます」
私の懇意な内で船場屋寿久右衛門せんばやすぐえもんと云う船宿があります、其処そこへお入来いでなされば宜しいと云う。もこの事を態々わざわざ鉄屋に聞かねばならぬと云うのは、実はその時私の懐中かいちゅうに金がない。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ではさっきから何処どこにもぐっていたのかと不審ふしんになり、それとなくたずねようとした刹那せつな、ぼくは彼の懐中かいちゅうにねじこまれている本が前田河広一郎まいだこうひろいちろうの≪三等船客≫なのを見て、ハッとして
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
辞表を書いて懐中かいちゅうに持ちながら諸般の事情によりその提出も出来ず待機たいきしているという不思議な運命うんめいの下にくらすこと一年で、昭和十一年の新春に、やっと辞表を平穏へいおんに出すことが出来た。
親は眺めて考えている (新字新仮名) / 金森徳次郎(著)
「今夜は少しゆっくりしてもいいように、同宿の者へも頼んできた。おそくなったら、ここで泊ってもいいのだ。これでひとつお酒をってきてくれ」と、小平太は懐中かいちゅうから小粒を一つ出して渡した。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
中にすこぶる気に入ったのが一つあったから、それを取ることに定めて、値段ねだんただすと一円ということであった。すなわち懐中かいちゅうに持参の一円紙幣を払ってからの紙入れを家に持って帰ったことがある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
また、船室せんしつはいって、すみからすみまで、懐中かいちゅうランプでらして、さがしたけれど、やはり一人ひとり死体したいつからない。
海が呼んだ話 (新字新仮名) / 小川未明(著)
「じゃ辻永さんはコンコドス。山野さんはクィーン・ノブ・ナイルがよかない」ミチ子が向うへ行ってしまうと、辻永は待ちかねたように、懐中かいちゅうから手帖を出した。
地獄街道 (新字新仮名) / 海野十三(著)
守衛しゅえいが二人ずつ一組になって、大きな懐中かいちゅう電灯をてらしながら、たえずデパートの中を、見まわっています。いま、ちょうど、二人づれの守衛が、洋服売り場へやってきました。
怪人と少年探偵 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
懐中かいちゅうした手紙はそのままにしてまた病室へ帰った。父は眼を開けて、そこに並んでいる人の名前を母に尋ねた。母があれは誰、これは誰と一々説明してやると、父はそのたびに首肯うなずいた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
で、帰りがけに、出口の明るい電灯の下で、そっと懐中かいちゅうから出して見た。
彼は懐中かいちゅう紙入かみいれを探って銭を出し、それを鼻紙はながみくるんだ。
竈の中の顔 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
懐中かいちゅう紙入かみいれに手を懸けながら、茫乎ぼんやり見ていたと申します。
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
年雄としおは、小山先生こやませんせいだったら、びつきたいのでした。スケッチちょう懐中かいちゅうれると、おかりました。
丘の下 (新字新仮名) / 小川未明(著)
ところが光枝は、知らないと答えたので、帆村が悲観したのであるが、まさかその重要物件が、陽明門の額から出て、旦那様の懐中かいちゅうに移されたとは、さすがの帆村も気がつかなかったのであろう。
什器破壊業事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
懐中かいちゅうから本を出して
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「いや、あなたの懐中かいちゅうからった財布さいふをお返しするよ。これは上から届けて来たものだが、いくら暗号あんごうで書いてあるにしても、英艦隊撃滅作戦の書類を中にはさんでおくなんて、不注意にも、程がある」