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かえい
ふりがな文庫
“
嘉永
(
かえい
)” の例文
わたくしは当年七十八歳で、
嘉永
(
かえい
)
三年
戌歳
(
いぬどし
)
の生れでございますから、これからお話をする
文久
(
ぶんきゅう
)
三年はわたくしが十四の年でございます。
蜘蛛の夢
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
嘉永
(
かえい
)
五年五月はじめの或る日、
駿河
(
するが
)
のくに富士郡大宮村にある浅間神社の社前から、二人の旅装の青年が富士の登山口へと向っていった。
新潮記
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
抽斎はその
数世
(
すせい
)
の
孫
(
そん
)
で、
文化
(
ぶんか
)
中に生れ、
安政
(
あんせい
)
中に
歿
(
ぼっ
)
した。その徳川
家慶
(
いえよし
)
に謁したのは
嘉永
(
かえい
)
中の事である。墓誌銘は友人
海保漁村
(
かいほぎょそん
)
が
撰
(
えら
)
んだ。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
いたずら好きなその心は、
嘉永
(
かえい
)
ごろの
浦賀
(
うらが
)
にでもあればありそうなこの
旅籠屋
(
はたごや
)
に足を休めるのを恐ろしくおもしろく思った。
或る女:1(前編)
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
村田清風の詩は、
嘉永
(
かえい
)
四年
余
(
よ
)
が叔父徳富
一義
(
かずよし
)
、小楠翁に
陪
(
ばい
)
して天下を周遊するに際し、親しく村田翁に授りたるもの、今や蔵して余の家に
在
(
あ
)
り。
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
▼ もっと見る
過ぐる
嘉永
(
かえい
)
六年の夏に、東海道浦賀の宿、
久里
(
くり
)
が
浜
(
はま
)
の沖合いにあらわれたもの——その黒船の形を変えたものは、
下田
(
しもだ
)
へも着き、横浜へも着き
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
石川光明氏と私とは、
嘉永
(
かえい
)
五年子歳の同年生まれです。私は二月、石川氏は五月生まれというから、少し私が兄である。
幕末維新懐古談:46 石川光明氏と心安くなったはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
日本の女の社会的地位は、サア・オルコツクの日本に
駐剳
(
ちうさつ
)
した時代、即ち
嘉永
(
かえい
)
万延
(
まんえん
)
以来あまり進歩してはゐないらしい。
日本の女
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
さて日本も
嘉永
(
かえい
)
の五年あたりは、まだ世の中が
開
(
ひら
)
けませぬから、
神信心
(
かみしんじん
)
に
凝
(
こ
)
るとか、
易占
(
うらない
)
に見て貰うとかいうような人が多かったものでござります。
闇夜の梅
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
嘉永
(
かえい
)
元年その二十歳の時に有為の才を認められ、当職が召出して藩主の命を伝えました。それは、「一代
還俗
(
げんぞく
)
仰付けらるゝに依り、儒学を修業すべし」
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
安永天明における物哀れにまで優しき風情は
嘉永
(
かえい
)
文久
(
ぶんきゅう
)
における江戸の女には既に全く見ることを得ざるに至りぬ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
一八五七年(安政四年)八月二十九日に調印された日蘭追加条約は、
嘉永
(
かえい
)
六年以来の米以下との和親条約とちがって、左のごとく自由貿易を規定している。
空罎
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
たまたま我が
嘉永
(
かえい
)
六年、即ち西紀一八五三年米国使節ペルリ来って、時の将軍〔徳川〕
家慶
(
いえよし
)
の耳元に一大砲声を放った。ここに長い間の昏睡状態は破れた。
東西両文明の調和を論じて帝国の将来に及ぶ
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
種痘法が日本へ輸入されたのは一八四九年すなわち
嘉永
(
かえい
)
二年のことでありまして、それ以後日本国民もジェンナーの
恩恵
(
おんけい
)
に浴することになったのであります。
ジェンナー伝
(新字新仮名)
/
小酒井不木
(著)
五六百年の物では無い。松の外に格別古い物はない。石碑は
嘉永
(
かえい
)
のものである。茶屋がけがしてあるが、夏過ぎた今日、もとより
遊人
(
いうじん
)
の影も無く、
茶博士
(
さはかせ
)
も居ない。
熊の足跡
(旧字旧仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
五六百年の物では無い。松の外に格別古い物はない。石碑は
嘉永
(
かえい
)
のものである。
茶屋
(
ちゃや
)
がけがしてあるが、夏過ぎた今日、もとより
遊人
(
ゆうじん
)
の影も無く、
茶博士
(
さはかせ
)
も居ない。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
嘉永
(
かえい
)
六(一八五三)
年
(
ねん
)
の六
月
(
がつ
)
に、アメリカからペリーがやってきて、
開国
(
かいこく
)
をせまったことは、まえにかいておきましたが——
幕府
(
ばくふ
)
は、一
年
(
ねん
)
のちに
神奈川
(
かながわ
)
(いまの
横浜
(
よこはま
)
)で
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
この人の青年の頃といへば、
嘉永
(
かえい
)
の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。
遠野物語
(新字旧仮名)
/
柳田国男
(著)
嘉永
(
かえい
)
年中、開国の以来、我が日本はあたかも国を創造せしものなれば、もとより政府をも創造せざるべからず。ゆえに旧政府を廃して新政府をつくりたり。自然の勢、もとより怪しむに足らず。
学者安心論
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
それは実に
嘉永
(
かえい
)
元年夏の初めのことであったが、母のお
琴
(
こと
)
はお染を抱きながら、裏庭の縁で涼んでいた。すると最初口笛が聞こえ、次に
鼬
(
いたち
)
が現われた。アッと驚く
隙
(
ひま
)
もなく鼬はお染へ噛みついた。
大捕物仙人壺
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
わたしの研究は今
嘉永
(
かえい
)
の昔に
遡
(
さかのぼ
)
っている。アメリカ
東印度
(
ひがしインド
)
艦隊司令長官ペルリが四隻の軍艦を率いて
浦賀
(
うらが
)
に来航した当時に遡っている。この事件の裏にはそういう歴史的秘密が隠れているのです。
偉大なる夢
(新字新仮名)
/
江戸川乱歩
(著)
これと同時に抽斎は
式日
(
しきじつ
)
に
登城
(
とじょう
)
することになり、次いで
嘉永
(
かえい
)
二年に将軍
家慶
(
いえよし
)
に謁見して、いわゆる
目見
(
めみえ
)
以上の身分になった。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
嘉永
(
かえい
)
安政の代に生きるとしたら——すくなくもあの先輩はどうするだろうとは、半蔵のような青年の思いを潜めなければならないことであった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
嘉永
(
かえい
)
初年のことである。四谷塩町の亀田屋という油屋の女房が熊吉という小僧をつれて、市ヶ谷の合羽坂下を通った。
異妖編
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
嘉永
(
かえい
)
それの年に
鐫
(
ゑ
)
られたる
本所絵図
(
ほんじよゑず
)
をひらきたまはば、
土屋佐渡守
(
つちやさどのかみ
)
の屋敷の前に小さく「
芥川
(
あくたがは
)
」と記せるのを見たまふらむ。この「芥川」ぞわが
家
(
や
)
なりける。
臘梅
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
一括して
明和
(
めいわ
)
二年(一七六五年)より
嘉永
(
かえい
)
三年(一八五〇年)に至る浮世絵全盛の各時代を通覧し得たり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
この人の青年のころといえば、
嘉永
(
かえい
)
の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた来住してありき。
釜石
(
かまいし
)
にも山田にも西洋館あり。
船越
(
ふなこし
)
の半島の突端にも西洋人の住みしことあり。
遠野物語
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
私は、
現今
(
いま
)
の
下谷
(
したや
)
の
北清島町
(
きたきよしまちょう
)
に生まれました。
嘉永
(
かえい
)
五年二月十八日が誕生日です。
幕末維新懐古談:02 私の子供の時のはなし
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
日本
嘉永
(
かえい
)
七年
甲寅
(
こういん
)
三月十一日
吉田松陰
(新字新仮名)
/
徳富蘇峰
(著)
嘉永
(
かえい
)
六年六月十一日付として、江戸屋敷の方にいる人の書き送ったもので、黒船騒ぎ当時の様子を伝えたものであった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
祖母は震災の前年に七十六歳で歿しましたが、
嘉永
(
かえい
)
元年
申
(
さる
)
歳の生れで、それが十八の時のことだと申しますから、たぶん慶応初年のことでございましょう。
青蛙堂鬼談
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
年代にすると、黒船が
浦賀
(
うらが
)
の港を
擾
(
さわ
)
がせた
嘉永
(
かえい
)
の末年にでも当りますか——その母親の弟になる、
茂作
(
もさく
)
と云う八ツばかりの男の子が、重い
痲疹
(
はしか
)
に
罹
(
かか
)
りました。
黒衣聖母
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
草筆
(
そうひつ
)
の漫画には北斎広重また
夙
(
つと
)
に世の称美する処となれり。これら知名の画家の
間
(
あいだ
)
に立ちて英泉は遂に望むが如き自家の地位を定むるの機会なかりしが如し。英泉は
嘉永
(
かえい
)
元年に歿せり。年五十九。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
と断わって、なんと言っても忘れがたいのは
嘉永
(
かえい
)
六年の六月に十二代将軍の
薨去
(
こうきょ
)
を伝えたころだと言い出した。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
嘉永
(
かえい
)
元年九月十二日の宵である。芝の
柴井町
(
しばいちよう
)
、
近江屋
(
おうみや
)
といふ糸屋の娘おせきが
神明前
(
しんめいまえ
)
の親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。
影を踏まれた女:近代異妖編
(新字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
嘉永
(
かえい
)
年代以来、黒船の到着は海岸防備の必要となり、海岸防備の必要は徳川幕府および諸藩の経費節約となり、その経費節約は
参覲交代
(
さんきんこうたい
)
制度の廃止となり
夜明け前:04 第二部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
それは
嘉永
(
かえい
)
二年六月のはじめで、今年の
梅雨
(
つゆ
)
のまだ明け切らない暗い日であつた。
影を踏まれた女:近代異妖編
(新字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
嘉永
(
かえい
)
年代以後に渡来した黒船は、もはやこんな旧式なものではなかった。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
“嘉永”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。弘化の次で、安政の前。1848年2月28日から1854年11月27日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
嘉
漢検準1級
部首:⼝
14画
永
常用漢字
小5
部首:⽔
5画
“嘉永”で始まる語句
嘉永板
嘉永版