吾妻あずま)” の例文
かくてその坂にお登りになつて非常にお歎きになつて、「わたしの妻はなあ」と仰せられました。それからこの國を吾妻あずまとはいうのです。
三十歳を半ば越しても、六本の高調子たかじょうしで「吾妻あずま八景」の——松葉かんざし、うたすじの、道の石ふみ、露ふみわけて、ふくむ矢立やたての、すみイだ河……
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
例の荒川にわたしたるなれば、その大なるはいうまでもなく、いといかめしき鉄の橋にて、打見たるところ東京なる吾妻あずま橋によく似かよいたる節あり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
せめて吾妻あずま橋まで——今くず折れるのはまだ恥かしく、口惜しい——だが室子はその時すでに気を失いつつあった。
(新字新仮名) / 岡本かの子(著)
東京では向島むこうじま吾妻あずま神社の脇にある相生あいおいの楠もその一つで、根本から四尺ほどの所が二股ふたまたに分れていますが、始めは二本の木であったものと思われます。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ある朝新吉が、帳場で帳面を調べていると、店先へ淡色うすいろ吾妻あずまコートを着た銀杏返いちょうがえしの女が一人、腕車くるまでやって来た。それが小野の内儀さんのお国であった。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「はい、吾妻あずま川のみずうみへ出ますところで、二人とも、しっかり抱き合い身を投げたのを、今朝の暗いうちに、倉屋敷の船頭衆が見つけまして大騒ぎになりました」
百本ぐいから吾妻あずま橋の方角へ、大川端をぶらぶらと歩いてゆくと、向島の桜はまだ青葉にはなり切らないので、遅い花見らしい男や女の群れがときどきに通った。
半七捕物帳:30 あま酒売 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
凛々りりしき声にさきを払わして手套てぶくろを脱ぎつつ入り来る武男のあとより、外套がいとう吾妻あずまコートをおんなに渡しつつ、浪子は夫に引き沿うてしとやかに座につき、手をつかえつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
長い間この辺から吾妻あずま橋へかけて探したのは大間違で、あいつの穴というのは、浅野セメントの近所、清洲橋きよすばしからあまり遠くない所にあるに相違ねエと睨んだがどうだい
悪人の娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
花婿は黒山高帽子に毛皮のえりの付きたる外套がいとうちゃくして、喜色満面にあふれていたるに引きかえ、花嫁はそれと正反対、紺色の吾妻あずまコートに白の肩掛、髪も結ばずたばのままの
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
『日本紀』七に日本武尊東征の帰途、つねに水死した弟橘媛おとたちばなひめを忍びたもう。故に碓氷嶺うすひねに登りて東南を望み三たび歎じて吾妻あずまはやといった。爾来東国を吾妻の国というと見える。
葉子は吾妻あずまコートも脱がずにいいかげんぬれたままで黙ってそのあとからついて行った。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
忽然こつぜんとして会堂の戸が開いた。中から人が出る。人は天国から浮世うきよへ帰る。美禰子は終りから四番目であった。しま吾妻あずまコートを着て、うつ向いて、上り口の階段を降りて来た。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
向うに見える、庭口から巣鴨の通へ出ようとする枝折門しおりもんに、きつけた腕車くるまわきに、栗梅のお召縮緬めしちりめん吾妻あずまコオトを着て……いや、着ながらでさ、……立っていたのがお夏さんでね。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
帝室にしてくその地位を守り幾艱難いくかんなんのその間にも至尊しそんおかすべからざるの一義をつらぬき、たとえばの有名なる中山大納言なかやまだいなごん東下とうかしたるとき、将軍家をもくして吾妻あずまの代官と放言したりというがごとき
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
陰惨いんさんな灰色の天地から、都鳥なく吾妻あずまの空へ……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
なれし吾妻あずまの花や散るらん
六 吾妻あずまはやとし日本武やまとたけ
県歌 信濃の国 (新字新仮名) / 浅井洌(著)
芸者襟付の不断着ふだんぎに帯はかならず引掛ひっかけにして前掛まえかけをしめ、黒縮緬五ツ紋の羽織はおりを着て素足すあしにて寄席よせなぞへ行きたり。毛織のショール既にすたれて吾妻あずまコート流行。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
吾妻あずま橋を渡りましたら駕籠がありましょう。いや、これはどうもいろいろ御厄介になりました」
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
三番目に見栄みばえのしない小躯こがらのお作が、ひょッこりと降りると、その後から、叔父の連合いだという四十ばかりの女が、黒い吾妻あずまコートを着て、「ハイ、御苦労さま。」と軽い東京弁で
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
関西で吾妻あずま菊、東国で蝦夷えぞ菊というものと色も形もほぼ同じで、あれよりもはるかに姿が弱々しく、地を去ることわずかに二、三寸、青い空をまぶしがり、海の音に聞き入るような花であった。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
藤色ふじいろ縮緬ちりめんのおこそ頭巾ずきんとともに信玄袋をわきへ押しやり、浪子の枕べ近く立ち寄るは島田の十七八、紺地斜綾はすあや吾妻あずまコートにすらりとした姿を包んで、三日月眉みかづきまゆにおやかに、凛々りりしき黒目がちの
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
そこでその老人を譽めて、吾妻あずまの國の造になさいました。
オリブ色の吾妻あずまコオトのたもとのふりから二枚重にまいがさね紅裏もみうらそろわせ、片手に進物しんもつの菓子折ででもあるらしい絞りの福紗包ふくさづつみを持ち、出口に近い釣革へつかまると、その下の腰掛から
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
勿論、その逃げてゆくうしろ姿を見つけた者はあったが、人間の河童はおかでも身が軽いので、あれあれといううちに吾妻あずま橋の方へ飛んで行ってしまった。そこへ幸次郎が帰って来た。
半七捕物帳:19 お照の父 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
古来鳥居奥村両派のに見たる太くして円味まるみある古風の線は今や細く鋭く鮮明となり、衣裳の模様は極めて綿密に描きいだされその色彩はいはゆる吾妻あずま錦絵の佳美を誇ると共に
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
吾妻あずま橋を渡って、本所を通り越して、深川の果ての果て、砂村新田しんでんの稲荷前にゆき着いたのは八幡の鐘がもう夕七つ(午後四時)を撞き出したあとで、春といってもまだ日晷ひあしの短いこの頃の夕風は
半七捕物帳:10 広重と河獺 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
長吉はふるえた。お糸である。お糸は立派なセルの吾妻あずまコオトのひもき解き上って来た。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)