八幡宮はちまんぐう)” の例文
その言い草がおもしろいじゃアないか、こういうんだ、今度代々木よよぎ八幡宮はちまんぐうが改築になったからそれへ奉納したいというんだ。
郊外 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
鶴ヶ岡八幡宮はちまんぐうは、康平こうへいの秋、ご父子が奥州征伐のご祈願に、石清水いわしみず勧請かんじょうなされたのがその縁起であるやに聞いておる
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そなたはづかなかったであろうが、じつはそなたがまだ可愛かわいらしい少女姿しょうじょすがたでこの八幡宮はちまんぐう御詣おまいりなされた当時とうじから、わしはようそなたをぞんじてる……。
奥州郡山こおりやま八幡宮はちまんぐう祠官しかん安藤筑前あんどうちくぜん親重ちかしげの子で、寛政二年に生れたらしい。十六歳の時、近村の里正りせい今泉氏いまいずみうじの壻になって、妻に嫌われ、翌年江戸にはしった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
それからこれは人間にんげんちからだけにはおよばない、神様かみさまのおちからをもおりしなければならないというので、頼光らいこう保昌ほうしょう男山おとこやま八幡宮はちまんぐうに、つな公時きんとき住吉すみよし明神みょうじん
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
小説家後藤宙外ちゅうがい氏が鎌倉に住んでいたころのことであると云うから、明治三十年前後のことであろう、その時鎌倉の雪の下、つまり八幡宮はちまんぐうの前に饅頭屋まんじゅうやがあって
二通の書翰 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
それとも難所なんじょを越えて雪中に病でも求めなければいがと存じて心配するが、お前にまで心配させてはならんから、今日きょうは気を変えてブラ/\と八幡やわた八幡宮はちまんぐうへでも参詣致そうか
杉林すぎばやしの中を通り抜け、さらに三丁、畑の間の細道を歩き、さらに一丁、坂をのぼって八幡宮はちまんぐうに参り、八幡宮のおふだをもらって同じ道をまっすぐに帰って来るよう、固く申しつける。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
鼠色ねずみいろに洗い出された賽銭箱さいせんばこの上に、大きな鈴のひもがぶら下がって昼間見ると、その鈴のそば八幡宮はちまんぐうと云う額がかかっている。八の字が、はとが二羽向いあったような書体にできているのが面白い。
夢十夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
鎌倉の八幡宮はちまんぐうの、杉の老木が二本も落雷で裂け、おまけに東京では八十カ所も落雷したと後で新聞に出ていたから、東京にいてももちろん私は、右往左往して仰天したに違いなかったであろう。
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
従来、祇園ぎおんの社も牛頭ごず天王と呼ばれ、八幡宮はちまんぐうも大菩薩と称され、大社小祠しょうしは事実上仏教の一付属たるに過ぎなかったが、天海僧正てんかいそうじょう以来の僧侶の勢力も神仏混淆こんこう禁止令によって根からくつがえされたのである。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
じつもうすとわしはこの八幡宮はちまんぐうよりももっとふるく、もとはここからさしてとおくもない、とある山中さんちゅうんでたのじゃ。
ある時は八幡宮はちまんぐうの石段を数えて登り、と進んで七つと止まり、七つだよと言い聞かして、さて今の石段はいくつだとききますと、大きな声でとおと答える始末です。
春の鳥 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ある日香以は松本交山を深川富が岡八幡宮はちまんぐうの境内に訪うて、交山が松竹を一双の金屏風きんびょうぶに画いたのを見た。これはそれがしが江戸町一丁目和泉屋平左衛門の抱泉州に贈らむがために画かせたものであった。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
どこを通過つうかしたか、途中とちゅうすこしもわかりませぬが、私達わたくしたちたちまちあのなつかしい鎌倉かまくら八幡宮はちまんぐう社前しゃぜんきました。
戸数こすう五百に足らぬ一筋町の東のはずれに石橋あり、それを渡れば商家あきんとやでもなく百姓家でもない藁葺わらぶき屋根の左右両側りょうそくに建ち並ぶこと一丁ばかり、そこに八幡宮はちまんぐうありて、その鳥居とりいの前からが片側町かたかわまち
置土産 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)