“いんき”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:インキ
語句割合
陰気63.3%
陰氣26.7%
印気1.1%
殷馗1.1%
允凞1.1%
尹喜1.1%
洋墨1.1%
陰鬼1.1%
隠几1.1%
隠起1.1%
隱氣1.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それから、おとこたちが、かねつきどうがって、かねをつくのです。やがて、陰気いんきかねは、とおくまでなみってひびいてゆくのでした。
娘と大きな鐘 (新字新仮名) / 小川未明(著)
けた少時しばし竹藪たけやぶとほしてしめつたつちけて、それから井戸ゐどかこんだ井桁ゐげたのぞんで陰氣いんきしげつた山梔子くちなしはな際立はきだつてしろくした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
号鐘ベルつて、講師は教室からて行つた。三四郎は印気いんきの着いた洋筆ペンつて、帳面ノートせ様とした。すると隣りにゐた与次郎が声を掛けた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
いつもなら手帳のーと印気いんき壺を以て、八番の教室に這入る時分である。一二時間の講義位聴きそくなつても構はないと云ふ気で、真直ますぐに青山内科の玄関迄乗り付けた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
むかし殷馗いんきというて、よく天文に通じていた者が、群星の分野をぼくして、この地かならず賢人けんじん淵叢えんそうたらん——と予言したことは、今も土地の故老がよく覚えていることだが、要するに
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまから五十年前——まだ桓帝かんてい御宇ぎょうの頃です。遼東の人で殷馗いんきという予言者が村へきたとき申しました。近頃、いぬいの空に黄星こうせいが見える。あれは五十年の後、この村に稀世の英傑が宿するしらせじゃと。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
建文帝の皇考おんちち興宗孝康こうそうこうこう皇帝の廟号びょうごうを去り、もとおくりなりて、懿文いぶん皇太子と号し、建文帝の弟呉王ごおう允熥いんとうくだして広沢王こうたくおうとし、衛王えいおう允熞いんけん懐恩王かいおんおうとなし、除王じょおう允凞いんき敷恵王ふけいおうとなし、ついまた庶人しょじんししが
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こんな奇効ある故か、道家に尹喜いんき穀を避けて三日一たび米粥を食い白馬血をすすり(『弁正論』二)、黄神甘露を飲み駏驉きょきょほじしを食うという。
ると、玉川の上流、青梅あたりの空に洋墨いんき色の雲がむら/\と立って居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
あの女に逢うまでは、このような疑惑は、ほとんど起らなかったのだ。あのバーミンガムの女こそは、懐疑かいぎ陰鬼いんきみたいなものであった。
英本土上陸戦の前夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ひとりコノ筆録一友人ノ許ニ託ス。因テ免ルヽコトヲ得タリ。コレヲ篋衍きょうえんニ蔵ス。南郭子なんかくし纂ノ言ヘルアリ。今ノル者ハ昔ノ几ニ隠ル者ニ非ズト。一隠几いんきノ間ニシテナホ然リ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
伊太利亜イタリア名家のえがける絵のほとんど真黒まくろになりたるを掛けあり。壁の貼紙はりがみは明色、ほとんど白色にして隠起いんきせる模様および金箔きんぱくの装飾を施せり。
たゞ蒿雀あをじふゆはるわきまへぬやうに、あたゝかい日南ひなたから隱氣いんきたけはやしもとめてひく小枝こえだわたつて下手へたきやうをして、さうして猶且やつぱり日南ひなたつちをぴよん/\とねた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)