間道かんどう)” の例文
「お待ちあそばせや、伊那丸さま。人穴ひとあなの殿堂は、この咲耶子がそらんじている道、踏みやぶる間道かんどうをごあんないいたしましょうぞ」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「十津川をけて、あの釈迦しゃかたけの裏手から間道かんどうを通り、吉野川の上流にあたる和田村というに泊ったのが十九日の夜であった」
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
間道かんどうの守備 私は荷持にもち二人を気遣きづかいながら四十里の路を六日間かかってヒマラヤ山中のツクジェという村に着きました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
かゆいのか、それともくすぐったいのかもいわれぬ苦しみさえなかったら、うれしさにひと飛騨山越ひだやまごえ間道かんどうで、おきょうふしをつけて外道踊げどうおどりをやったであろう
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
山中の間道かんどうづたい、安藤対馬守つしまのかみどの五万石岩城平から、相馬の一行とは同じ往還を逆に、きょう広野村よりこの木戸の山越えにさしかかったところで。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
殊更ことさら岸に立って渡船を待つ心は、丁度表通に立派なアスファルトじきの道路あるにかかわらず、好んで横町や路地の間道かんどうを抜けて見る面白さとやや似たものであろう。
私は、乾いて、やけつくような咽喉の痛みを感じながら、ぜいぜい息を切って、雑草におおわれた間道かんどうを走った。走ったというよりは、いながらけだしたのであった。
人造人間の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
それよりまた一里半あまりけば鹿沼へ出ます、それより先は田沼道たぬまみち奈良村ならむらへ出る間道かんどう、人の目つまにかゝらぬ抜道ぬけみち、少しも早く逃げのびて、何処いずこの果なりとも身を隠し
ここより薬師堂の方を、六里ばかり越ゆけば草津に至るべし、是れ間道かんどうなり。今年の初、欧洲人雪をおかしてえしが、むかしより殆ためしなき事とて、案内者あんないしゃもたゆたいぬと云。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大高島の渡しを渡って、いつものように間道かんどうを行こうとしたが、これも思い返して
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
四軒並んでいた空家の塀が、ことごとくそうなっていたのであった。思うに最初から屋敷の人たちは、そういう間道かんどうを作ろうために、四軒の家を買収して、わざと空家にしていたのであろう。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
十四日嘉与吉が来た、彼は脚気かっけで足が痛むというので、途中宮川の小屋に立ち寄り、親父おやじに代ってもらう事に話して来たゆえ、明朝父の居を尋ねて行かるれば、小屋からすぐ間道かんどうを案内するという。
穂高岳槍ヶ岳縦走記 (新字新仮名) / 鵜殿正雄(著)
これが己の求める物に達する真直まっすぐな道を見る事の出来ない時、いや間道かんどうを探し損なった記念品だ。(十字架の前に立ち留まる。)この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿ヤソどのは定めて身に覚えがあろう。
間道かんどうの藤多きでたりし
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
そのほか、せまい間道かんどうや、みねみちでも、およそ敵兵の出没と、小ゼリ合いの見えぬ所はなく、夜もひるも、凄惨せいさんなこだまだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それからまた程経ほどへて、河沿いの間道かんどうを、たった一人で竜之助が帰る時分に月が出ました。
五百らは上山で、ようよう陸を運んで来たちとの荷物の過半を売った。これは金を得ようとしたばかりではない。間道かんどうを進むことに決したので、嵩高かさだかになる荷は持っていられぬからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
伊豆の伊東へ出る間道かんどうで、此処ここを放れたまで何のさわりもなかつたさうで。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何うやらうやらやっているうち、時藏は傷寒しょうかんわずらって死んでしまい、金はなくなって来た処から、ついふら/\と出来心で泥坊をやったが病付やみつきとなり、此の間道かんどうはよく宇都宮の女郎を連れて
と、忍剣にんけんが先にたって、むしろを巻き、板をはいでみるとたちまち、一けん四方の間道かんどうの口が、奈落ならくの門のごとく一同の目にうつった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と落着いて手紙一本書いて、路銀を附けて遣ると、富五郎は其の手紙を持って人に知れぬ様に姿を隠し、間道かんどう/\と到頭とうとう逃げおおせて常陸へ参りました。安田一角も引続いて迯げる、花車重吉は
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
と蚕婆と燕作が、飛びあがっておどろくうちに、才蔵は、すばやく間道かんどうのなかへ姿をかくして、下からあおむいて笑っている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして京都から義経軍の潜行したいわゆる、鵯越ひよどりご間道かんどう”の径路を、その豊かな郷土史の見地から何くれとなく説明された。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
峰のいただき伊弉諾いざなぎみこと髪塚かみづかに立って、程近き間道かんどうを手に手をとって、国境くにざかいへ逃げてゆくふたりの姿を認めたのである。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも当然で、裏金剛から葛城かつらぎ間道かんどうすべて遮断されている実状なのだ。——そんな中をもおし大蔵だいぞうなればこそ、首尾よくここまで来られたものといえよう。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、時遷は間道かんどうへさして、先に立った。——かくてここ翠屏山すいへいざんにおける“潘巧雲はんこううん殺し”の一場面は、そのあとで、薊州じゅうの大評判となった以外に話はない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上野介殿の身辺が実に心もとない。いつおそうやも知れないものが感じられる。万一の備えに、この白金のお下屋敷へお身を移して、穴蔵の間道かんどうでも作って、安全を
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「姿を変えて、黒谷より大原、芹生せりゅう間道かんどうをこえ、明夜、夜にまぎれて御所へと存じますが」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大将、決して労を惜しむわけではありませんが、雒城らくじょうへ通るには、何もあんな道なき所をひらかなくても、べつに、巴城はじょうの搦手の上から巴郡の西へ出る間道かんどうがありました。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼自身一陣をひきいて、いちばん遠い小鴨城へ間道かんどうから潜行して不意にそれを攻めおとし、つづいて赤崎を火攻めに苦しませ、転戦また転戦して四日めの朝、山上へひきあげて来た。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御上陸と聞き、間道かんどう、夜を日についで、せまいった鎮西村ちんぜいむらの者どもです」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生擒いけどってしまう時がきました。こよい手前は、一軍をひいて間道かんどうから敵の後ろへまわり、不意に夜討ちをかけますから、将軍は火光を合図に関門をひらき、正面から一挙に押し出してください
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「山絵図によれば、これより岡崎への間道かんどうは、三ツあるようだが」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その本城の間道かんどうへ道案内に立つことは、心中苦しそうだった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
間道かんどうからお帰りになりますか」
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ム、鬼淵おにぶち間道かんどうのほうは?」
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)