里方さとかた)” の例文
その次に太郎兵衛が娘をよめに出す覚悟で、平野町の女房の里方さとかたから、赤子あかごのうちにもらい受けた、長太郎ちょうたろうという十二歳の男子がある。
最後の一句 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
殺された文次郎は仕方もありませんが、生き残った奥様の始末には困ったのでしょう。結局離縁になって里方さとかたへ帰されたようです。
半七捕物帳:51 大森の鶏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
良人おっとの正成、良人の弟正氏、また、里方さとかたの兄南江正忠みなみえまさただと、次々に戦死し、一族遠縁の人々までも、それからそれへとこずえから去って行った。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひとうへつものはだけ苦勞くらうおほく、里方さとかた此樣このやう身柄みがらでは猶更なほさらのことひとあなどられぬやうの心懸こゝろがけもしなければるまじ
十三夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
なにかといっては月のうちに一も二里方さとかた相談そうだんにいく。なんぼ相談をくりかえしても、三人の子持ちとなった女はもはや動きはとれない。
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
そしてその晩里方さとかたへ帰つて、父親の竹内栖鳳氏にかくと告口つげぐちした。父親の偉いのを持つた嫁御寮は、何よりもよく里を利用する事を知つてゐるものだ。
あれには兄弟も親族みよりもない者だから、行々ゆく/\おれ里方さとかたに成ってほかへ養子にやり、相応な侍にしてやろうと仰しゃいますから、わたくし折々おり/\うちの家来善藏ぜんぞうなどに
親類の誰彼、伯父伯母おじおばなどに聞いてみても、母の里方さとかたについては、不思議に知っている者がなかった。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それにまた里方さとかたの事情も変って、次第に嫁移りの期日が早くなると、みそか男でもなくてはこんな消息の必要は無くなり、恋歌はけしからぬ不行儀のものになったのだが
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
十歳の時、母の里方さとかた、埼玉の東大寺へ奉公の下拵したごしらえに行き、一年間いて十一に江戸へ帰った。
唯おみきをわたくししょう、不届ふとどきばかりではござりませぬ、貴女様御祭礼の前日夕、おうまやの蘆毛を猿がいて、里方さとかたを一巡いたしますると、それがそのままに風雨順調、五穀成就じょうじゅ
多神教 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私はこれらの事についてしばしば漏らした不平や反抗に対して貴方はあるいは離別するとか里方さとかたに預けるとか申されて実に冷酷な態度を取られた事をお忘れにはなりますまい。
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
仕懸候趣きにて右秀儀里方さとかたへ逃歸り候に付よんどころなく離縁仕つらんと掛合に及び候處是なる久兵衞一人不當のみを申つのり持參金道具代は勿論親亭主にひまくれ候女に離縁状は出し申さゞる由を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
あがり口に待っていた車夫の提灯ちょうちんには彼女の里方さとかた定紋じょうもんが付いていた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
濱町の里方さとかたに招かれて、これもまだ歸らなかつたのです。
里方さとかたあおいの紋やひなの幕
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
五百はまだ里方さとかたにいた時、或日兄栄次郎が鮓久すしきゅうに奇な事を言うのを聞いた。「人間はよるさかさになっている」云々といったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
深川浄心寺脇の菅野大八郎、二千八百石、これは因幡の奥方お蘭の里方さとかたで、ここからも内密に頼んで来ている。殊に菅野の申し込みは手きびしい。
細君の里方さとかたでは、糟谷をえらい人と思いこみ、なお出世しゅっせする人と信じて、この結婚を名誉めいよと感じてむすめをとつがし、糟谷のほうでもただ良家りょうけの女ということがありがたくて
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
御縁者方ごえんじゃがたにも、もう、うごく御決意ではないと分かり、ふっつり、おあきらめに、見うけられまする。……で、近いうちに、奥がた様も、お子を連れて、お里方さとかたへ移られましょう』
是は主としてよめの初産を、里方さとかたに帰ってする習わしに伴のうていたようだが、そのふうがいつしか衰えると、母が安産のよろこびにくることも、または生まれを見せに親元おやもとに行くことも
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
結婚後も良人をつとの姓は名乗らないで、矢張里方さとかたの娘のまんまで押通してゐる。
抽斎の先妻徳の里方さとかた岡西氏では、この年七月二日に徳の父栄玄が歿し、次いで十一月十一日に徳の兄玄亭が歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
清の雍正ようせい年間、内城の某家で息子のためによめめとることになった。新婦の里方さとかた大家たいけで、沙河門外に住んでいた。
そうして毎日朝だけ来て水を汲み、まきって一荷いっかずつ持ってくる。この状態が時としては三年も続くことがあったと聴いている。すなわち朝々の水と薪以外は、里方さとかたの用をしていたのである。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
嫁の里方さとかたでも伊太郎が師匠の御新造と怪しいということを薄々感付いたので、とうとう別れ話になったんです。
島の里方さとかた河内屋半兵衛かわちやはんべえといって、真志屋と同じく水戸家の賄方まかないかたを勤め、三人扶持を給せられていた。お七の父八百屋市左衛門いちざえもんはこの河内屋の地借じかりであった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼はお節や新次郎から幾らかの小遣い銭を貰って、六月以来、山谷の里方さとかたへ五、六たび使いに行ったことがある。いつも手紙を届けるだけであるから、その用向きは知らないと云った。
半七捕物帳:49 大阪屋花鳥 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
其次に、太郎兵衞が娘をよめに出す覺悟で、平野町の女房の里方さとかたから、赤子あかごのうちに貰ひ受けた、長太郎と云ふ十二歳の男子がある。其次に又生れた太郎兵衞の娘は、とくと云つて八歳になる。
最後の一句 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
山口屋は嫁の里方さとかたであるので、もしや急病人でも出来たのかと、店の者も思わず戸をあけると、黒い覆面の男ふたりが無提灯でずっと這入って来て、だしぬけに主人に逢わせろと云った。
半七捕物帳:40 異人の首 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
里方さとかたから物をもらい、子供の七五三の祝いだと言っては、里方から子供に衣類をもらうのでさえ、心苦しく思っているのだから、暮らしの穴をうめてもらったのに気がついては、いい顔はしない。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
お鉄はお元の里方さとかたの小作人のむすめで、幼いときから地主の家に奉公して、お元とは取りわけて仲よくしている関係から、かれが江戸へ縁付くに就いても一緒に附き添ってきたのであった。
半七捕物帳:37 松茸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
そんなことになれば、女房の里方さとかたの不承知は勿論、親類たちからも故障が出て、伊勢屋の店にお家騒動が起こるのは見え透いている。忠義の万力としては、これも我慢の出来ないことです。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし妻の里方さとかたでは承知しない。