らう)” の例文
孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其のすゝむ所有るをさとり、孜孜しゝとして自らつとめて、らうの將に至らんとするを知らず。
われ名をクルラード・マラスピーナといへり、かのらうにあらずしてそのすゑなり、己が宗族うからにそゝげるわが愛今こゝにきよめらる。 一一八—一二〇
神曲:02 浄火 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
わすれんや更に貴樣は知らぬ人なりと再度ふたゝび云へば三次はあきはて嗚呼あゝよめたり長庵らうお安の一件をおれが白状せし故其惡事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
此時このとき選手せんしゆ第一だいいちしやうたのは、いけをめぐること三十幾囘さんじふいくくわい翌日よくじつ發表はつぺうされて、としは六十にあまる、らう神行太保戴宗しんぎやうたいほたいそうは、加州かしう小松こまつ住人ぢうにん、もとの加賀藩かがはん飛脚ひきやくであつた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
日記の如き体裁。叙述よりも情調。かくせば比類なき好文字かうもんじを得べし。唯、わがこのらう如何いかん
叔齊しゆくせいまたつをがへんぜずしてこれのがる。國人こくじん其中子そのちうしつ。ここおいて、伯夷はくい叔齊しゆくせい(二五)西伯昌せいはくしやうらうやしなふとき、(曰ク)『なんいてせざる』と。いたるにおよんで西伯せいはくしゆつす。
一老夫いちらうふこゝに来り主人を拱手てをさげて礼をなし後園うらのかたへ行んとせしを、あるじよびとめらう夫をゆびさしていふやう、此叟父おやぢ壮年時わかきとき熊に助られたる人也、あやふいのちをたすかり今年八十二まですこやか長生ながいきするは可賀めでたき老人也
三次聞て大いに笑ひ何と云はるゝや長庵らう牢屋らうやくるしみにて眼もくらみしや確乎しつかりし給へ小手塚の三次なりと云ひければ何ぞ牢内らうないの苦しみがつよければとて知己ちきの人を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
〔譯〕いきどほりを發して食をわする、志氣しきかくの如し。たのしんで以てうれひを忘る、心體しんたい是の如し。らうの將に至らんとするを知らず、めいを知り天を樂しむものかくの如し。聖人は人と同じからず、又人とことならず。