“西伯昌”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
せいはくしやう | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“西伯昌(文王(周))”の解説
文王(ぶんおう、ぶんのう、紀元前12世紀 - 紀元前11世紀ごろ)は、中国殷代末期の周国の君主。姓は姫(き)、諱は昌(しょう)。在世時の爵位から「西伯」「西伯侯」「西伯昌」とも呼ばれ、『尚書』では「寧王」とも呼ばれる。
殷の紂王に対する革命戦争(牧野の戦い)の名目上の主導者であり、周王朝を創始した武王や周公旦の父にあたる。後世、とりわけ儒教においては、武王や周公旦と合わせて、模範的・道徳的な君主(聖王)の代表例として崇敬される。中国戦国時代の儒学者である孟子は『孟子』において、「舜は諸馮に生まれて負夏に移り、鳴條で亡くなった東夷の人である。文王は岐周に生まれ、畢郢に死した西夷の人だ」として、舜は「東夷」の人、文王は「西夷」の人であると述べている。
(出典:Wikipedia)
殷の紂王に対する革命戦争(牧野の戦い)の名目上の主導者であり、周王朝を創始した武王や周公旦の父にあたる。後世、とりわけ儒教においては、武王や周公旦と合わせて、模範的・道徳的な君主(聖王)の代表例として崇敬される。中国戦国時代の儒学者である孟子は『孟子』において、「舜は諸馮に生まれて負夏に移り、鳴條で亡くなった東夷の人である。文王は岐周に生まれ、畢郢に死した西夷の人だ」として、舜は「東夷」の人、文王は「西夷」の人であると述べている。
(出典:Wikipedia)