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烏有
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うゆう
ふりがな文庫
“
烏有
(
うゆう
)” の例文
* 荒井寛方氏の労作、この後五六年を経て、大正十二年の関東大震災の際、東京帝国大学文学部の美術史研究室において
烏有
(
うゆう
)
に帰した。
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
全部の建物が
烏有
(
うゆう
)
に帰し、狭山良吉という剥皮夫が一名生き残ったほか、清水技手以下五名が焼死したという椿事である。
海豹島
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
下谷の家はわたくしの外祖父なる
毅堂鷲津
(
きどうわしづ
)
先生が明治四年の春ここに
居
(
きょ
)
を
卜
(
ぼく
)
せられてより五十有二年にして
烏有
(
うゆう
)
となった。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
私の十四歳の暮、すなわち慶応元年丑年の十二月十四日の夜の四ツ時(午後十時)浅草三軒町から出火して浅草一円を
烏有
(
うゆう
)
に帰してしまいました。
幕末維新懐古談:11 大火以前の雷門附近
(新字新仮名)
/
高村光雲
(著)
秋の夜の静寂は、何やら物語を訴うるがごとくその
縷々
(
るる
)
たる
烏有
(
うゆう
)
のささやきに人はともすれば耳を奪われるのだった。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
こうなって来ると思い出されるのは、それにもう一枚、駒井能登守ということでありますが、惜しい
哉
(
かな
)
、せっかくの人材も
烏有
(
うゆう
)
のうちに葬られています。
大菩薩峠:16 道庵と鯔八の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
見る間に数十町歩を
烏有
(
うゆう
)
に帰したので、都の消防が残らず駈けつけるなぞ、一時は大変な騒ぎであったが、幸いに人畜に被害も無く、夜明け方に鎮火した。
いなか、の、じけん
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
準備された沢山の
小間絵
(
こまえ
)
は不幸にして戦災を受け
悉
(
ことごと
)
く
烏有
(
うゆう
)
に帰しました。そのため再び
芹沢銈介
(
せりざわけいすけ
)
君の手を
煩
(
わずら
)
わして、
凡
(
すべ
)
てを描き改めて
貰
(
もら
)
わねばなりませんでした。
手仕事の日本
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
もし
村民
(
そんみん
)
の
訓練
(
くんれん
)
が
不行屆
(
ふゆきとゞ
)
きであり、
或
(
あるひ
)
は
火
(
ひ
)
を
消
(
け
)
すことを
第二
(
だいに
)
にしたならば、
恐
(
おそ
)
らくは
全村
(
ぜんそん
)
烏有
(
うゆう
)
に
歸
(
き
)
し、
人命
(
じんめい
)
の
損失
(
そんしつ
)
は
助
(
たす
)
けられた
五十八名
(
ごじゆうはちめい
)
の
中
(
なか
)
にも
及
(
およ
)
んだであらう。
地震の話
(旧字旧仮名)
/
今村明恒
(著)
火事は、精神的なものである。私は、宗教をさえ考える。宿業に依って炎上し、神の意志に依って
烏有
(
うゆう
)
に帰する。人意にて、左右することの、かなわぬものである。
春の盗賊
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
その頃から旅に出たり、都でも転々と居を移し、永享元年(四十九)『徹書記物語』を書き、永享四年(五十二)には火災にあって、歌稿二万七千首を
烏有
(
うゆう
)
に
帰
(
き
)
した。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
如何
(
いかん
)
と言ふに
其
(
その
)
間に昨年の大震大災あり、我が
寓
(
ぐう
)
亦
(
また
)
その禍を免る
能
(
あた
)
はず、為に材料一切を挙げて
烏有
(
うゆう
)
に帰せしめたる事実あればなり。当夜我僅に携へ得たる所の
鞄
(
かばん
)
一個あり。
鴎外の思い出
(新字新仮名)
/
小金井喜美子
(著)
また折悪く出火に会って店を
烏有
(
うゆう
)
に帰したので、その晩から元の裸一貫となると同時に
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
是
(
ここ
)
に
於
(
おい
)
て才子は才を
馳
(
は
)
せ、
妄人
(
もうじん
)
は
妄
(
もう
)
を
恣
(
ほしいいまま
)
にして、空中に楼閣を築き、
夢裏
(
むり
)
に悲喜を
画
(
えが
)
き、
意設筆綴
(
いせつひってつ
)
して、
烏有
(
うゆう
)
の談を
為
(
つく
)
る。或は
微
(
すこ
)
しく
本
(
もと
)
づくところあり、或は全く
拠
(
よ
)
るところ無し。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
さりながら、思えば人間の心当てほど
儚
(
はかな
)
いものもございません。わたくしがそのように念じ抜きました桃華文庫も、まったく思いもかけぬ
事故
(
ことゆえ
)
から
烏有
(
うゆう
)
に帰したのでございます。……
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
上野山寛永寺にも家光の霊廟があったが、これは享保年間の火事で
烏有
(
うゆう
)
に帰した。
増上寺物語
(新字新仮名)
/
佐藤垢石
(著)
時は
文明
(
ぶんめい
)
五年であり、応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半は
烏有
(
うゆう
)
に帰し、残った家々も大破し、没落し、旅舎というようなものもなく
弓道中祖伝
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
しかし自から不幸の輪廓を
描
(
えが
)
いて
好
(
この
)
んでその
中
(
うち
)
に
起臥
(
きが
)
するのは、自から
烏有
(
うゆう
)
の山水を
刻画
(
こくが
)
して
壺中
(
こちゅう
)
の
天地
(
てんち
)
に歓喜すると、その芸術的の
立脚地
(
りっきゃくち
)
を得たる点において全く等しいと云わねばならぬ。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
啻
(
た
)
だ数量ばかりでなく優品をも収得したので、天筠居は
追
(
おっ
)
ては蒐集した椿岳の画集を出版する計画があったが、この計画が実現されない中に、
惜
(
おし
)
い
哉
(
かな
)
、この比類のない蒐集は大震災で
烏有
(
うゆう
)
に帰した。
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
『枕山絶句鈔』所載のこの年の作「早春即興」二首の一に、「
今茲
(
こんじ
)
正月城北災アリ旧稿印本
悉
(
ことごと
)
ク
烏有
(
うゆう
)
トナル。」
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
さりながら、思へば人間の心当てほど
儚
(
はかな
)
いものもございません。わたくしがそのやうに念じ抜きました桃華文庫も、まつたく思ひもかけぬ
事故
(
ことゆえ
)
から
烏有
(
うゆう
)
に帰したのでございます。……
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
幕府時代からの本堂は、明治六年政府の方針より増上寺に神仏を共に祀った時、神仏
混淆
(
こんこう
)
を
忌
(
い
)
む神官が放火したので
烏有
(
うゆう
)
に帰し、その後再建したが、これも明治三十年、乞食の焚火によって炎上した。
増上寺物語
(新字新仮名)
/
佐藤垢石
(著)
毅堂の随筆『親灯余影』の序に「丙午ノ春余昌平黌ニアリ
祝融
(
しゅくゆう
)
ノ災ニ罹リ平生ノ稿本
蕩然
(
とうぜん
)
トシテ
烏有
(
うゆう
)
トナル。」
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
わが東京の市内に残りし古碑
断碣
(
だんけつ
)
、その
半
(
なかば
)
は
癸亥
(
きがい
)
の
歳
(
とし
)
の災禍に
烏有
(
うゆう
)
となりぬ。
礫川徜徉記
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
“烏有”の意味
《名詞》
烏 有 (うゆう)
皆無であること。何もないこと。「烏(いづ)くんぞ有らむや(どうして有ろうか、有ろうはずがない)」の意。
(出典:Wiktionary)
烏
漢検準1級
部首:⽕
10画
有
常用漢字
小3
部首:⽉
6画
“烏”で始まる語句
烏
烏帽子
烏賊
烏滸
烏合
烏瓜
烏羽玉
烏丸
烏金
烏山