字引じびき)” の例文
その辞書と云うものは、此処ここにヅーフと云う写本の字引じびきが塾に一部ある。れは中々大部なもので、日本の紙でおよそ三千枚ある。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それからは、ちいさい字引じびきれて、自分じぶん一人ひとり英語えいご勉強べんきょうちからをそそぎました。けれども、おもうようにはすすみません。
まためんにはかれ立派りつぱ教育けういくけ、博學はくがく多識たしきで、んでもつてゐるとまちひとふてゐるくらゐ。で、かれまちきた字引じびきとせられてゐた。
六号室 (旧字旧仮名) / アントン・チェーホフ(著)
「名はちよう」とゆびいて見せて、「艸冠くさかんむりが余計だ。字引じびきにあるか知らん。妙な名を付けたものだね」と云ふ。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
折々おりおり新聞に伝えられるぼう学者は何千円の俸給ほうきゅうを取るが、毎日教場きょうじょうのぞみ授業するとき、たまたま生徒が何か質問をすると、それはむずかしい、字引じびきを引いてもちょっと分かるまい
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「警官の山? そんなものは我輩にとっては無に等しい。『開け、セザーム』俺はこの呪文で、大牢獄の鉄扉てっぴを開かせたこともある。ルパンの字引じびきには『不可能』の文字はないのだ」
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今日はなかば死語に属し、かろうじて字引じびきと地方語の中に存留するのみであるが、果実のよく熟してからちるのをアエルといい、またはアユ・アユル・アエモノ等の語の古くからあるように
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
しかし、英語えいごをおしえるといっても、諭吉ゆきちは、字引じびきをたよりに、一人ひとり勉強べんきょうしたわけですから、英語えいご自由じゆうによみこなすことはできません。
また一めんにはかれ立派りっぱ教育きょういくけ、博学はくがく多識たしきで、んでもっているとまちひとうているくらい。で、かれはこのまちきた字引じびきとせられていた。
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
こりゃ仕方がない、鉄砲洲てっぽうずから九段阪下まで毎日字引じびきを引きに行くとうことはとてあわぬ話だ。ソレもようやく入門してたった一日いっぎりで断念。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
字引じびきを見ると、かつの字はもと家をささうる材木の意味であり、したがって人の場合には重荷をになってえる意を含ませてあるとくが、これはいわゆる勝つ所以ゆえんを最もよく表したものと思う。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
ナポレオンと同じように、わしの字引じびきには、不可能という文字はない。どんな大魔術をやるか、しばらく、その見物席に腰かけて待っていてくれたまえ。お客さんが、まだそろわないからね。
虎の牙 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
字引じびきか教科書だろうとは推察したが、別にいて見る気にもならなかった。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ただ、ドクトル=ズーフというオランダじんのつくった、おおきな「ハルマ」という字引じびきをひいて、自分じぶんでかんがえるのでした。
始めて日本に英辞書を入るその時に私と通弁つうべん中浜万次郎なかはままんじろうと云う人と両人がウエブストルの字引じびきを一冊ずつかって来た。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
代助はそれをおほきな字引じびきうへせた。さうして、其そばまくらいて仰向あほむけに倒れた。くろあたまが丁度はちかげになつて、花からにほひが、い具合にはなかよつた。代助は其香そのにほひぎながら仮寐うたゝねをした。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)